茨の蕾は綻び溢れる〜クールな同期はいばら姫を離さない〜
百子は浴槽に浸かりながらそっと目を閉じる。瞼の裏には陽翔の顔しか浮かばないことに、彼女は軽く口元を緩めた。飲むから遅くなるという連絡を受けたまでは良かったのだが、一人で帰るのも、夕食を作るのも食べるのもずいぶんと久しぶりで、温度も匂いも音も半分になった家にぽつんと居るのが彼女には堪えたのだ。仕事関係だから遅くなるのは仕方ないと割り切ろうとしたのだが、心の下からふつふつと湧き上がる寂寥は抑えようが無い。それを紛らわせるために百子は明日の朝に作るはずだった味噌汁を作ったり、リビングの掃除をしていたのだが気休め程度にしかならず、わずかに塞ぎ込んでいた。

「だめよ……この程度で寂しいなんて思ってたら」

百子は眉を下げて一人ごちる。虚しく反響した独り言を聞いて、さらに胸の中の侘しさを広げてしまい、百子は言うんじゃなかったと自分を毒づいた。寂しいと言ったところで陽翔が早く帰ってくる筈もないし、寂しいと言うことそのものが今自分が一人でいることの強調になってしまい、ますます寂しさを募らせてしまう。それでも口をついて出る言葉を押しとどめることはついにできなかった。

(でも……やっぱり思い出しちゃう。元彼は連絡もなく朝帰りもよくしてたし、寂しいと言ったら嫌な顔されたし……陽翔だって寂しいって言われたら嫌よね……)

元彼の所業を思い出すと、それを皮切りに元彼が嫌な顔をしてきたことをぞろぞろと思い出してしまい、百子は勢い良く浴槽から上がった。

「もう止めよ」

大きな水音が嫌な記憶を頭の片隅に放逐するのを助けたので、ようやく百子はこれからのことに気を回す余裕ができた。彼女は波立ってる浴槽を振り返り、お風呂の栓を抜くかどうかを逡巡していたが、慌ただしい音がしたのでお風呂の蓋を閉めた。どうやら陽翔が帰ってきたらしいが妙に胸騒ぎがする。彼は通常大きな足音を立てることはないからだ。

「百子! どこだ!」

「陽翔、おかえり! 私はお風呂上がりなの!」

陽翔の声が切羽詰まったように聞こえ、百子は脱衣所から少し怒鳴るように声を上げる。すると脱衣所のドアが勢い良く開き、ぎょっとして後ずさる前に百子は彼の腕の中にいた。

「はる、と……? おかえり……」

抱きすくめられるというよりも、縋りつかれたように感じられ、百子の胸騒ぎは的中してしまった。それでも百子は彼の背中に腕を回し、背中をさする。彼の汗とほんの少しだけアルコールの匂いが百子の鼻腔をくすぐった。

「ただいま、百子……」

陽翔はさらに腕に力を込めて抱き寄せたが、百子が小さくうめいたので慌てて彼は腕を緩める。
< 124 / 242 >

この作品をシェア

pagetop