茨の蕾は綻び溢れる〜クールな同期はいばら姫を離さない〜
怖くない
駅を降りると湿気を含む熱風が二人を包み込む。まるで冷房で冷やされていた皮膚が瞬時に解凍されるようで、その温度差に陽翔は思わず顔を顰めた。

「勘弁してくれよな……」

彼の呟きが終わる前に、百子は日傘を背伸びしながら陽翔の頭上に掲げる。陽翔は彼女の手から傘を取って百子の腰に片手を回し、太陽の方角に傘を傾けた。まるで百子の両親に挨拶に行った日に巻き戻ったようで、陽翔は実家までの道がひどく遠くなった心地がした。
やや賑やかな町並みを抜けると、すぐに蝉の声が迎える住宅街に入る。その辺りから百子の体が強張って来たのを陽翔は目ざとく勘付いた。

「百子、心配しなくてもいいんだぞ」

「うん……そうなんだけども……ほら、うちの父が陽翔のご両親に私が認められなかったら陽翔と結婚できないって思うと、ね……」

信号待ちなので陽翔は思わず彼女の顔をのぞき込んだ。彼女の顔を伏し目がちな瞳に影が落ちて、ことさら彼女の表情が曇って見えてしまう。百子の不安はある意味では無用のものだと陽翔は考えていたが、不明な物に対して不安に駆られる気持ちはよく理解できる。

(流石に俺もそれを持ち出されたら、肩の力を抜いてとか、そんな気休めは言えねえな……)

むしろ気休めの言葉が百子にとってはさらなる重荷になるに違いなかった。陽翔は下手に声をかけず、彼女の背中をゆっくりと擦る。本当は頭を撫でたかったのだが、実家に着く前に彼女の髪が乱れるのも良くないと判断したのだ。だが彼女の体の強張りは解消されることはついに無かった。

「ここだぞ」

陽翔が足を止めたので、百子は俯いていた顔を上げた。陽翔の鳴らすインターフォンの機械音の後に、それに応えるプツッとした音の無い音が聞こえ、百子はやや硬い女性の声が応答するまでの時間がまるで永劫の時のように感じられて再び下を向いた。

「百子……大丈夫、俺がついてる」

陽翔は百子が僅かに逡巡するのを見て取ってしまったと感じた。結局気休めの言葉になってしまっからだ。陽翔はその気まずさを拭うべく、日傘を閉じた百子の唇を軽く啄んだ。そのはずみで百子は駅から降りてからまともに彼の顔を正面から見据えてぎょっとする。

「は、陽翔! 口紅ついてる!」

百子が慌ててティッシュで陽翔の唇についた口紅をやや乱暴に拭う。陽翔は百子の表情がいくばくか和らいだのを見てふっと口元を歪めた。

「それじゃあ行くぞ」

百子は彼に向かって頷いた。
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