茨の蕾は綻び溢れる〜クールな同期はいばら姫を離さない〜
「いいえ……私は気にしておりませんから。どうか顔をお上げください」

百子が椅子から立ち上がり、やんわりと告げると、男性は弾かれたように頭を上げて首を激しく横に振る。

「それは駄目だ! 遅刻を気にしないということは君の時間が僕の時間よりも劣るということになってしまうよ。そんなことはあり得ない。僕の時間も君の時間も等しく価値のある時間なんだ。時間は命そのものなんだよ。僕達は寿命を削ってこの時間(とき)を共有しているんだ」

はきはきと告げる彼から陽翔の母は視線を反らし、台所へと消えていく。それを見届ける前に陽翔は低い声で彼を詰った。

「父さん、遅刻するってことは自分の方が偉いって思ってる証拠だって昔教えてくれたよな? さっきの発言と矛盾するぞ」

「うん。僕の行動事実から言うとそうなってしまうね。僕しか処理できない仕事だったけど、僕の想定以上に長引いてしまったよ。これは明らかに僕の落ち度だ」

彼があっさりと自分の非を認めたために、陽翔は物言いたげに開けていた口を閉ざしてため息をついた。

「そして百子さん……遅れてしまって本当に申し訳無く思ってる……そして我が家へようこそ。百子さんが来るのを僕は心待ちにしていたんだよ」

(あれ……どうして私の名前を……?)

眉が太く、やや釣り目になっていて厳しい雰囲気のある顔立ちではあるが、細い黒縁の眼鏡越しのその目は細められていて威圧感を感じさせない。あまり陽翔とは似ていない顔立ちに百子は覚えがなく目をぱちくりさせていたが、慌てて頭を下げた。

「ありがとうございます……お招き下さり感謝しております。茨城百子と申します。本日はよろしくお願い致します」

百子が頭を軽く下げたのと同時に、ことりと何かがテーブルの上に置かれる。どうやら陽翔の母は彼の分の麦茶を取りに行っていただけらしい。不機嫌になって引っ込んでしまったと勘違いしていた自分が百子は恥ずかしかった。

「こちらこそよろしくね。太一の娘さん。僕は健二って言います。そしてこちらは僕の妻の裕子(ひろこ)。裕子ちゃんはちょいと意地っ張りなところがあるけど、教養もあって家事も仕事もそつなくこなす自慢の妻なんだ」

裕子は紹介されている間に健二の隣に座ったが、ナチュラルに惚気る彼を思わず小突く。

「変なこと言わないで下さいな。健二さんはそうやっていつもいつも私を揶揄うのね。少しは真面目にしたらどうなのかしら」

「いやあ、裕子ちゃんのことだから百子さんにつれない態度でも取ってただろうなって思ったの。本当に素直じゃないんだから」
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