茨の蕾は綻び溢れる〜クールな同期はいばら姫を離さない〜
「東雲くん、おまたせ」

仕事が終わり、会社の最寄り駅まで迎えに来てくれた陽翔を見つけると、彼女はパタパタと走って向かう。

「待ってねえよ」

走ってくる百子を認めて手を上げた陽翔は、僅かに口元を緩める。二人で改札を通り、階段を降りてホームに向かうとちょうど電車がホームに入ったところだったので、途中から焦って電車待ちの列に並ぶ。もう少し自分達が遅くホームに到着したら、改札へ向かうたくさんの乗客の波に攫われるところだった。

「やっぱりこの時間は混むな」

電車に乗れたが車内でもみくちゃにされそうになり、陽翔はそう呟いてからさり気なく彼女の腰に腕を回して抱き寄せる。それに驚いて百子は思わず彼と目を合わせた。彼が腰に回した腕に触れているところから、何だか温かいものが広がっていく気がしたが、努めて平静に彼女は疑問を口にした。

「え? なんで?」

「はぐれるだろ。降りるときに流されるぞ」

百子は気恥ずかしくてすぐに目を伏せた。彼の気遣いはありがたいが、こうして彼の胸に顔を埋めていると、昨晩の彼の表情や掛けられた言葉、彼の匂いをどうしても思い出してしまい、心臓がやけに早鐘を打ってしまう。その鼓動と上昇した体温を彼に悟られるのが嫌で、少しだけ体を離そうとしたのだが、電車が揺れて彼のシャツを掴んでしまう。余計に彼にくっつく形になってしまい、百子は目を白黒させた。

「大丈夫か?」

声を掛けられたので百子は彼を見上げる。澄ました顔をしている彼に、百子はどぎまぎしながら頷いた。彼は満足そうに口元を緩めると、視線を上の方に持っていった。

(どうかバレませんように)

祈るように陽翔に縋りついた百子は、ちらりと陽翔を見る。彼はどうやら電車の広告を追っているらしい。自分はずっと陽翔と密着して心臓が盆踊りして落ち着かないというのに、涼しい顔をしている彼を見ると、何だか癪に触るのだ。

(ずるいわ、東雲くん。私はこんなに余裕がないのに、何でそうやってクールでいられるのよ)

昨晩あれほど百子を乱れさせた陽翔と同一人物とは思えないほど、落ち着き払った様子を見ていると負けん気が何故か湧いてくる。学生時代に彼と首位争いをして負けた時の気持ちによく似ているかもしれない。

(あれ? 東雲くんもドキドキしてる?)

百子がふと横を向くと、耳が彼の左胸の真上にきたので鼓動の音が聞こえると思ったが、流石に電車の走る音にかき消されている。とはいえ、スタッカートのように脈打つリズムはシャツ越しに感じられたのだ。

(……まさかね)

二人は横長の座席の前で立っていたので、本当は陽翔が百子を抱き寄せてようがいまいが、停車するたびに起こる人の波の影響は受けないはずだ。それなのに陽翔は決して彼女を離そうとはせず、最寄り駅で降りて家にたどり着くまでは握った彼女の手を離そうとしなかった。
< 40 / 242 >

この作品をシェア

pagetop