私にワルイコトを教えたのは政略結婚の旦那様でした
「あ、ちょうどよかった」

事務所向こうのカウンターから手招きされてそちらへ向かう。
そこには背の高い男性が立っていた。

「ハイ、凛音」

私に気づいた彼が、気さくに挨拶してくれる。

「こんにちは、ベーデガー教授」

私もそれに、軽く挨拶を返した。

『今日はいかがしましたか』

挨拶のあとはドイツ語で用件を聞く。
癖のあるブラウンの髪をラフな七三分けにし、黒縁の眼鏡の向こうから碧い目で私を見ている彼は、ドイツから招かれている教授で、三十五歳と教授の中では若いほうだ。

『探している資料があるんだ。
頼めるかな?』

戻ってくる言葉は当然ドイツ語。
彼は簡単な日本語はできるが、日常会話はまだ不自由が多い。

『わかりました。
どのような本をお探しですか?』

『そうだな……』

彼から聞いた用件を、手近なメモに書き留めていく。

『わかりました。
いつまでにお持ちすればいいですか?』

『今日中にお願いしたいんだが、いいだろうか』

『はい、大丈夫です』

ちょっとやっかいな案件そうだが、今日中と言われればそれまでにお持ちするのが司書の役目。
< 95 / 236 >

この作品をシェア

pagetop