私にワルイコトを教えたのは政略結婚の旦那様でした
それに教授に不自由をおかけするわけにはいかないので、やるしかないのだ。

『じゃあ、頼んだよ。
……あ』

一歩、足を踏み出しかけていた彼は、なにかを思い出したかのようにこちらを振り返った。

『凛音。
duではなくSieだ』

意味深に彼が、私に向かって片目をつぶってみせる。

『わかり……ました。
気をつけます』

『うん』

満足げに頷き、彼は今度こそ去っていった。

……いや。
duで呼べなんて無理ですが。

彼がいなくなり、心の中でため息をついた。
ドイツ語には英語のyouにあたる二人称がふたつある。
それがduとSieだ。
duは親称、Sieは敬称になる。
当然、教授でかなり年上のベーデガー教授はSieで呼ぶべきだが、なぜか彼は私にduを強要してきた。

「城坂さん、助かった。
ありがとう」

カウンター業務に入っていた先輩女性からお礼を言われ、照れてしまう。

「いえ。
私は別に」

ここにはドイツ語のできる人間がいなくて、難儀していたらしい。
英語でやりとりはしていたが、細かいニュアンスが伝わらずにベーデガー教授はかなりご不満だったようだ。
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