恋愛期限
思い出です。
車は三車線あった街の道路を逸れて坂道を上り、山奥へと入り込んでいった。
綺麗に舗装された道路は周囲を木々に囲まれていて、絶壁の向こうには青からオレンジに変えようとしている広い海が広がっている。
すれ違う車はほとんどなかった。
静かで、心地よく車を走らせることが出来る道。
まさに絵に書いたようなドライブコースだ。
寄り道と言われたものの、健斗君がどこに行こうとしているのか私は聞かされてなかったし、知らなかった。
ただ例のごとく流されるまま、ここに来てしまった。
何をされてしまうのか分からない。どうなってしまうかも分からない。
相変わらず不確定要素が多すぎたけど、でも、不思議と今の私は怖さは感じてなかった。
心を覆いつくすような不安も、もうない。
その位には、私はこの人を――健斗君を信用していた。
(単純すぎるんだろうか私……)
健斗君と交わしているのは最低限の言葉だけだった。
何を話したらいいか分からなかったし、健斗君も自分から率先して話しかけて来ようとはしなかった。
再会した時のあの印象が強すぎたせいで、誤解していたのかもしれない。
健斗君は本当はあまり喋る人ではないのかもしれない。
ふとそう思って、私はああ、と気付いた。
そうだ、健斗君は隅っこにいて、いつも一人で本を読んでて。人見知りで。
――昔から、そういう子だった。
気付いた瞬間、懐かしさにも似た感情がこみあげて、胸に広がっていく。
(この人、健斗君だ)
何の疑いもなく今、私はそう思えた。
「――ここ。ちょっと、車停める」
カーブを抜けて比較的真っ直ぐに伸びた道に入った所で、健斗君は車を道路の端に寄せて停めた。
エンジンを切って、シートベルトを外す。
「外。出ようぜ」
言い残して運転席のドアを開け、健斗君は車の外に出ていく。
急な行動に驚きつつも、私もガードレールにドアをぶつけないように気を付けながら外に出た。
とはいっても、周りには特別な建物らしき建物は無い。
健斗君の行動の意味が分からず、私はガードレールと車の隙間に挟まれた場所で待つしかなかった。
「いい眺めだろ?」
健斗君が私のすぐ隣に並んで、ガードレールの向こうの景色を視線だけで示した。
促されて、私も健斗君と同じ方向を見る。
ほんのりと夕陽に染まりつつある空と海。
遠く彼方に広がる水平線を遮るように陸地と山が展開して、陸地と空と海の融合が一大パノラマを作り出している。
岸壁を繰り返し打つ波の音。風に乗せてゆっくりと動く、空に浮かぶ雲。
その雄大な光景を目にするだけで、自分の存在なんて本当にとてもちっぽけなものに思えてしまった。
「――うん、凄い」
感嘆の声を上げて共感した私に、健斗君は表情を緩めてガードレールに両手をついた。
そして上半身を乗り出して、ぽつぽつと言葉を紡いでいく。
「俺さ、十三年前のあの時、水無川に引き取られたじゃん?」
話し出されたのは、遠い遠い昔の話だった。
健斗君と約束を交わした、あの日。
覚えている。
桜が舞っていて、とても綺麗で。
私は一度だけ首を縦に振って、健斗君の話の続きを待った。
「それで、マジでいいとこ引き取られたのは良かったけど、逆に……これ昨日も言ったけど、それなりに大変な思いもしてさ」
――無かった事にしろって?却下な。
――それなりに考えて、必死で色々やって来てんのよ。
マンションで健斗君に言われた台詞を思い出す。
健斗君にも縛りがあったのだろうか。恵まれた環境にいる者だからこその。
この十三年間の健斗君を全然知らない私には、何も分からなかった。
ただ、健斗君が話しているこの言葉を聞き逃したく無い、聞いておきたい。そう思っていた。
「そんで気持ちが落ちた時にさ、ここに来て見てたんだよね」
健斗君はガードレールの上に右手で頬杖をついて、まっすぐその景色を見ている。
「……本当。いい景色だよね。悩みとかどうでもよくなっちゃいそう」
私は健斗君の言葉に素直な気持ちで賛同する。
でも、返って来た健斗君の反応は私の予想していたものとは違った。
健斗君は、はははっと無邪気な、可笑しそうな顔で笑った。
(そんなにおかしな事、私言った?)
心当たりがなくて困惑してた私に、健斗君は今度は穏やかな笑みを作ってくる。
「気付かねえ?――あそこ。見える?」
短い、たった三つの言葉で組み立てられた台詞と共に、健斗君は左手の人差し指である方向を指差した。
海の向こうに突き出して見える、海岸線。陸の上。
健斗君の指したその方向に、私はじっと目をこらす。
よくある風景に、街並み。
何となくそれだけで見過ごしてしまいそうになっていたけれど。
(…………あ!!)
周りに点在する家より少しだけ大きめの面積をとって建っている一つの白い建物を見つけて、私はようやく健斗君の言っていた事を理解する。
「立塚養育院……?」
疑問形にしたけれどそれは間違いなく昔私達が一緒の時を過ごしていた、あの場所だった。
健斗君はそう、と首を縦に振る。
「大分経ってるのに、変わってねーよな。老朽化とか大丈夫なんかな?いい加減そろそろ改修とかした方がいいと思うけど」
呟いた健斗君はやっぱり穏やかな表情のまま語っていく。
「自分で車走らせるようになって分かったけど、高い所に登ると結構色んな所から見えるんだぜ、あの建物」
そうなのか。
全然知らなかった。私は車を持ってないし、日々の生活に追われて遠出とかもあまりしなかったから。
「もう全部投げ出したくなった時とか嫌になった時とか……よく見てた。――絶対迎えにいく、ってさ」
健斗君はそこで私に視線を向けて来た。
柔らかい笑みに乗せた、真剣な視線。
綺麗に舗装された道路は周囲を木々に囲まれていて、絶壁の向こうには青からオレンジに変えようとしている広い海が広がっている。
すれ違う車はほとんどなかった。
静かで、心地よく車を走らせることが出来る道。
まさに絵に書いたようなドライブコースだ。
寄り道と言われたものの、健斗君がどこに行こうとしているのか私は聞かされてなかったし、知らなかった。
ただ例のごとく流されるまま、ここに来てしまった。
何をされてしまうのか分からない。どうなってしまうかも分からない。
相変わらず不確定要素が多すぎたけど、でも、不思議と今の私は怖さは感じてなかった。
心を覆いつくすような不安も、もうない。
その位には、私はこの人を――健斗君を信用していた。
(単純すぎるんだろうか私……)
健斗君と交わしているのは最低限の言葉だけだった。
何を話したらいいか分からなかったし、健斗君も自分から率先して話しかけて来ようとはしなかった。
再会した時のあの印象が強すぎたせいで、誤解していたのかもしれない。
健斗君は本当はあまり喋る人ではないのかもしれない。
ふとそう思って、私はああ、と気付いた。
そうだ、健斗君は隅っこにいて、いつも一人で本を読んでて。人見知りで。
――昔から、そういう子だった。
気付いた瞬間、懐かしさにも似た感情がこみあげて、胸に広がっていく。
(この人、健斗君だ)
何の疑いもなく今、私はそう思えた。
「――ここ。ちょっと、車停める」
カーブを抜けて比較的真っ直ぐに伸びた道に入った所で、健斗君は車を道路の端に寄せて停めた。
エンジンを切って、シートベルトを外す。
「外。出ようぜ」
言い残して運転席のドアを開け、健斗君は車の外に出ていく。
急な行動に驚きつつも、私もガードレールにドアをぶつけないように気を付けながら外に出た。
とはいっても、周りには特別な建物らしき建物は無い。
健斗君の行動の意味が分からず、私はガードレールと車の隙間に挟まれた場所で待つしかなかった。
「いい眺めだろ?」
健斗君が私のすぐ隣に並んで、ガードレールの向こうの景色を視線だけで示した。
促されて、私も健斗君と同じ方向を見る。
ほんのりと夕陽に染まりつつある空と海。
遠く彼方に広がる水平線を遮るように陸地と山が展開して、陸地と空と海の融合が一大パノラマを作り出している。
岸壁を繰り返し打つ波の音。風に乗せてゆっくりと動く、空に浮かぶ雲。
その雄大な光景を目にするだけで、自分の存在なんて本当にとてもちっぽけなものに思えてしまった。
「――うん、凄い」
感嘆の声を上げて共感した私に、健斗君は表情を緩めてガードレールに両手をついた。
そして上半身を乗り出して、ぽつぽつと言葉を紡いでいく。
「俺さ、十三年前のあの時、水無川に引き取られたじゃん?」
話し出されたのは、遠い遠い昔の話だった。
健斗君と約束を交わした、あの日。
覚えている。
桜が舞っていて、とても綺麗で。
私は一度だけ首を縦に振って、健斗君の話の続きを待った。
「それで、マジでいいとこ引き取られたのは良かったけど、逆に……これ昨日も言ったけど、それなりに大変な思いもしてさ」
――無かった事にしろって?却下な。
――それなりに考えて、必死で色々やって来てんのよ。
マンションで健斗君に言われた台詞を思い出す。
健斗君にも縛りがあったのだろうか。恵まれた環境にいる者だからこその。
この十三年間の健斗君を全然知らない私には、何も分からなかった。
ただ、健斗君が話しているこの言葉を聞き逃したく無い、聞いておきたい。そう思っていた。
「そんで気持ちが落ちた時にさ、ここに来て見てたんだよね」
健斗君はガードレールの上に右手で頬杖をついて、まっすぐその景色を見ている。
「……本当。いい景色だよね。悩みとかどうでもよくなっちゃいそう」
私は健斗君の言葉に素直な気持ちで賛同する。
でも、返って来た健斗君の反応は私の予想していたものとは違った。
健斗君は、はははっと無邪気な、可笑しそうな顔で笑った。
(そんなにおかしな事、私言った?)
心当たりがなくて困惑してた私に、健斗君は今度は穏やかな笑みを作ってくる。
「気付かねえ?――あそこ。見える?」
短い、たった三つの言葉で組み立てられた台詞と共に、健斗君は左手の人差し指である方向を指差した。
海の向こうに突き出して見える、海岸線。陸の上。
健斗君の指したその方向に、私はじっと目をこらす。
よくある風景に、街並み。
何となくそれだけで見過ごしてしまいそうになっていたけれど。
(…………あ!!)
周りに点在する家より少しだけ大きめの面積をとって建っている一つの白い建物を見つけて、私はようやく健斗君の言っていた事を理解する。
「立塚養育院……?」
疑問形にしたけれどそれは間違いなく昔私達が一緒の時を過ごしていた、あの場所だった。
健斗君はそう、と首を縦に振る。
「大分経ってるのに、変わってねーよな。老朽化とか大丈夫なんかな?いい加減そろそろ改修とかした方がいいと思うけど」
呟いた健斗君はやっぱり穏やかな表情のまま語っていく。
「自分で車走らせるようになって分かったけど、高い所に登ると結構色んな所から見えるんだぜ、あの建物」
そうなのか。
全然知らなかった。私は車を持ってないし、日々の生活に追われて遠出とかもあまりしなかったから。
「もう全部投げ出したくなった時とか嫌になった時とか……よく見てた。――絶対迎えにいく、ってさ」
健斗君はそこで私に視線を向けて来た。
柔らかい笑みに乗せた、真剣な視線。