初恋からの卒業
「ん? 環奈、何か言った?」
「えっ! あっ、ううん。何でもない」
私はこーちゃんに、慌てて首を振る。
どうやら心の声が、無意識に口から漏れたみたいだ。
いけない、いけない。仕事に集中しなくちゃ。
父がサイフォンで淹れるコーヒーの香ばしい香りが鼻を掠める。いい匂いだ。
「環奈、これ運んで」
「はい」
父から受け取った木製のトレイには、こーちゃんが先ほど注文したブレンドコーヒーと、シフォンケーキがのっている。
使い込まれたこぶりのカップからは豊かな香りが立ちのぼり、ふわふわのシフォンケーキのそばには、ホイップクリームとミントが添えられている。
私はそれを、こーちゃんの元へと運んだ。
「お待たせ致しました」
「おっ。いつもながら、美味そう。いただきます」
母お手製のシフォンケーキを口に含んだ瞬間、こーちゃんの顔がパッと花が咲いたように明るくなる。
「やばい。おばさんのケーキ美味すぎて、顔がにやける」
「ありがとう。幸太くん」
カウンターの中で洗い物をしていた母が、こーちゃんに微笑む。
「お母さんのシフォンケーキは、世界一だからね」
「あらあら。環ちゃんまで嬉しいこと言ってくれちゃって」
閉店間際。今はこーちゃんで貸切の静かな店内に、コーヒーカップとソーサーのぶつかる音が時折響く。
「そういえば、環奈」
しばらくパソコンと睨めっこを続けていたこーちゃんが、ふいに顔を上げた。
「あのさ。アレ、届いたか?」
「アレ、って?」
「俺の……結婚式の招待状」