彼ラン!〜元許婚が逃げ込んできたので、匿うつもりがなぜか同居することになりました〜










「誰だ、こんな時間に……」


鳴り止まないピンポンという音に、お兄ちゃんが顔を顰めた。


「匿ってくれ、ってお願いされたりして」


ようやく「にーに」の「えらいえらい」から解放されるチャンスが訪れてほっと息を吐いた後、皮肉の一つでも言いたくなったのは仕方ないと思う。
数少ない貴重なお客様からの依頼で、アクセサリーを仕上げた私は、またもそのまま倒れるように爆睡してしまった。
おかげで、お兄ちゃんにえらいえらいといいこいいこを延々されるという、お仕置きを受けてたんだから。


「そうだな。家賃の振込に加えて、家事全般、ルームサービスまでやってくれるような奴なら、考えてみてもいいけど。……って、冗談だよ」

「……そこは、返す言葉もありません。で、でも! “にーに”だったら、いっ……いろいろしていいわけじゃないんですからね」


もはや、お兄ちゃんの足の間に後ろからだっこされるのが私の定位置になりつつある――いやいや、待って。
さすがに、それは慣れるのが早すぎるでしょ、私。


「いろいろって。まだ、頭撫でるくらいしかしてないだろ。あ、抱きしめて、キスして、押し倒したんだっけ。でもなー、キスはまゆりからだっ……」

「〜〜っ、で、出なくていいんですか!? 誰かさんみたいに、諦め悪いみたいですけど……!! 」


吹き出すと同時にあっさり腕を離したところをみると、この反応を待っての意地悪。
思惑通りだと分かってても、「にーにの嫌がらせ」を何度受けようと自分の心臓の音に負けてしまう。


「はいはい。でもさ、お前にとって、まだ俺は“にーに”だけだと思ってるから、それで済んでるの。忘れないように。言ったろ、狼だって」

「……な、何ですか、それ……」


聞かなきゃよかった。
ううん、やっぱり聞くべきだったと思う。


「“彼氏のにーに”なら、これで満足するなんて無理。だから、まゆりの気持ちがそうなるまで待ってるの。……ま、ただ待ってるのも癪だから、にーににもできそうなことから攻めてる」

「お……し……とかは、にーにじゃできませんから……
!! 」


(……キスもしないけど)


「あ、そっか」なんて適当に言いながら、やっと玄関に向かうお兄ちゃんの背中を眺めて、溜息を吐く。
胸に手を当ててる時点で、その理由は呆れたからでも、もちろん嫌だったからでもないことは分かりきってる。


(……そうだよね)


経緯はめちゃくちゃで、いろんな必要事項を全部すっ飛ばしての同居。
いくら名目が「婚約者」や「元許婚の恋人」だったとしても、本当の私はただの居候だ。
次に契約履行するとしたら、お兄ちゃんの結婚相手――本物の婚約者が現れた時。
それ以外は、まさしく家事全般やってもらって、会社の送迎までさせるという厄介者でしかない。


(……って、こんなこと考えちゃダメだ。なんで、こんな暗い気持ちになるか、はっきりできないなら尚更)


その人が現れたら、諦めるしかないって思ってもらえるような「哉人さんが決めた婚約者」を演じなくちゃいけないんだから。
強気で、自信満々で、哉人さんは私のものなんだからって顔をしないと、ただでさえ子どもの私は足下を見られてしまう。


(……よし! うだうだ考えてないで、やれることをやろう。その時に備えて、明日はちゃんと起きて化粧して、それなりの服を着て……ん……? )


玄関が騒がしい。
とはいえ、お兄ちゃんのマンションはうちみたいなセキュリティゼロ物件とは違うから、上がってはこれないみたいだけど――……。


「彼女に会わせろって……こんな時間に非常識でしょう。嘘じゃないよ。母さんも見てるの知って……は? いや、だから本当に一緒に住んでるって。少しは人の話聞いて、依子さん」


(……よりこ……さん)


――本物の、婚約者さん。




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