彼ラン!〜元許婚が逃げ込んできたので、匿うつもりがなぜか同居することになりました〜
・・・
「〜〜っ、本当に何なんですか、あの人……!? 」
「帰った途端、元気だな」
そうお兄ちゃんは笑ったけど、いつもみたいに大して呆れてはくれなかった。
「だって……だって、ひどすぎます。必要とか不要とか……そんな理由なんて」
「ま、ごまかしたり嘘吐いたりしないで、分かりやすく説明してくれるのは依子さんの長所だけど」
目の前で他の女の人を庇われて、悲しくはなっても拗ねたい気分にはならない。
「自分が悪者になるのも躊躇しないで、ああまではっきり事実を言えるって感心するよ。俺には無理だ」
「……単に、私が眼中にないってことですよ。……すみません」
その目で確認した、自分の婚約者の「彼女」。
普通なら、余程どうでもよくない限り、多少なりとも動揺したり傷ついたりするはず。
それが依子さんに微塵も見られなかったのは、私を敵だとすら認識してくれなかったからに他ならない。
「……まゆり」
「……っ、で、でも!! 依子さんも狡いですよね! こんな深夜に現れて、自分はバッチリメイクも服装も完璧で……わ、私だって、せめて日中だったらもっとマシだったかもしれないのに。すっぴんに眼鏡なんて、こんな……」
今は、今だけは卑屈になっちゃダメだ。
私が依子さんに敵わないなんてことは、わざわざ言わなくても分かりきってる。
空気を悪くしてまで、今言うことじゃない。
だから、笑って。
本当は圧倒されて落ち込んでるなんて、お兄ちゃんに悟られないように――……。
「明日を待たなくても、まゆりの方が可愛い。どう比べたのか知らないけど、負けたなんて思うなよ。……あ、やっぱり」
そう決めてたのに目を丸めてしまって、速攻バレてしまった。
「まゆりの方が好みだって男、お前が思ってるより絶対多いよ。それなら、俺は尚更。だって、そうだろ」
それがお世辞だって、慰めてくれたんだって思ったのもきっと。
「彼女と同棲してるんだから。夜中、パジャマで、すっぴんで、眼鏡してて当たり前なの。その状況で、既に優勝」
「……そうですね」
お兄ちゃんが側にいて、「可愛い」をくれる。
その時点で、きっと私は勝ちなんだ。
なのに、こんなにも落ち込むのは、依子さんが勝ちを求めていないからなんだろうか。
(……ううん。確かに、依子さんのお兄ちゃんに対するあの言い方はひどい。でも、この敗北感は自分のせいだ)
これが契約だって、お兄ちゃんの甘さは演技で台詞で。
さらっと言えちゃうのは、お兄ちゃんが大人で私が未経験の子どもだからだって。
おばさんや依子さん、他の誰かを騙せても、私自身が偽りのポジションだと知ってるからだ。
「それにしても意外だな。彼女なら、もっとあっさり引くかと思ったんだけど……」
「……他にもいるんですか」
膨れた私の頬を突いて、すぐにそっと撫でてきた。
「誰が来るか、分からなかったんだよ。さすがに、そう何人も同時に送り込んではこないって。第一、そんな女性を選べるような男じゃないし」
「……でも、依子さんは……」
その中でも、知り合いだったんだよね。
今までも縁談は数え切れないほどあって、今になって逃げるくらいなのに。
「依子さん」ってお兄ちゃんが今も名前で呼ぶ人は、きっとそんなに多くない。
もしかしたら、彼女一人だけ。
(私は呼び捨てなのに……)
そっちのが近いよね?
距離だって、こんなに。
それこそお兄ちゃんが言ったみたいに、抱きしめてキスして、押し倒されたりしたんだよ?
「何かメリットができたんだろうなー。……でも、まゆりは俺を諦めないでくれるだろ」
「……再会したばかりで連れ去られたのに、簡単に手離しませんよ」
「はは。その意気、その意気」
ジトッと見上げると、真上から掌が落ちてきた。
それはちっとも艶っぽくなくて、何だかこれまでで一番「お兄ちゃん」ぽくて。
記憶を遡っても、こんなに小さい子扱いされたことないくらいの触れ方だった気がして。
「……そんなんじゃ、依子さん納得してくれませんよ」
――苛立ちのまま、哉人さんの首にしがみついた。