彼ラン!〜元許婚が逃げ込んできたので、匿うつもりがなぜか同居することになりました〜









「付き合わせて悪かったな」


って、お兄ちゃんの方が言うから。
言葉自体はそんなんじゃないのに、ものすごく甘く聞こえてしまう。


「付き合ってもらったの、私ですよ? ……嫌な思いさせてすみません」


大丈夫。
車の中に入れば、ほら。


「俺に嫌な思いさせたのは、お前じゃない。だから、まゆりが謝ることないよ。紹介してくれてありがとう」


あまあまが待ってる。
運転席から、腕が伸びてきて。
側頭部を包み込むように、隣へ寄せられて。


「……こんな時、だったよな。まゆりが過剰に甘いもの要求してきたのって」


そう。
めちゃくちゃで強気なだけで、何一つ上手くできない私はちっとも期待に応えられなくて。
かと言ってお嬢様らしく威張ることも、可愛く品よくしていることもできなかった。
そんな私に、お兄ちゃんはね。


「今日は何にする? さっきはああ言ったけど、想像以上に強烈だったからな。あれなら仕方ない。何でも言っていいよ」


そうやって、困ったように笑って。
怒ったり窘めたりしないどころか、下手に慰めることなく――でも、私を否定せずにそのままでいさせてくれるの。


「この後も、一緒にいてくれますか? ……もし、用事なかったら、できたら……側にいてほしいです」


(ガラクタかもしれないけど、ガラクタにならないように頑張るから)


何度も何度もそう思ったのに、途轍もなく不器用で何もかも下手っぴな私は、やがて成長するにつれて耐えきれなくなって。


「一回は逃げたし、ずっと忘れようとしてました。だって、あまりに分不相応だから。憧れの人に迷惑掛けっぱなしで、お兄ちゃんは大人だから嫌嫌お守りしてくれたんだって。だから、私なんかいなく……っ」


何が思い出だ。


(私、ずっと)


いつまで経っても思い出にできないから、逃げた。
物理的に距離を取るのが、一番簡単だったから。
お兄ちゃんに、私が相応しいはずがない。
そんな当たり前すぎることを今更言い訳にして、自分の気持ちから逃げ回ってただけ。


「……“なんか”はダメだって言ったろ。俺にとってのまゆりの価値は、俺が決める。ご両親はもちろん、まゆり自身にだってそれは決められない。……まゆり“だから”。何も変わらないよ」


いなくなった方がいいって。
大人になればなるだけ、お兄ちゃんの困った顔が苦しかった。
あの「困ったな」ってふわりとした笑い方が、大好きで大好きでどうしようもないのだと自覚するほど、切なかったし申し訳なかった。


「……でも、やっぱりそうか。誤解させてたんだな」

「え……? いえ、本当に迷惑掛けてたし。それに、さすがに幼女に恋愛感情は持ってなかった……です……よね? い、いえ、あの。なので、仕方ないかと……! ったぁぁっ、またデコピン……! 」


あの頃の恨みか、恋人になってもデコピンとは酷い。
せめて、彼氏なんだからもうちょっと優しくしてほしい。
というか、キスしといてデコピンってどういう流れだ。


「真剣に後悔してるのに、ふざけたこと言うから。まあ、いつものまゆりに戻ったんならいいけど。……それに、ごめん」

「……結構痛いんですけど。昔はデコピンなんてしなかったのに、なぜ……。優しくなったのか、容赦なくなったのかどっちなんですか」


雰囲気は変わっても、昔も今もお兄ちゃんは優しい。
でも、額の痛さについ、そんな文句を言ってしまう。


「デコピンに対する謝罪じゃない」

「え? 他に謝ることないですし、どっちかというとデコピンで謝ってください」


更なる文句を言ってしまってから、ハッとしておでこを隠そうとしたけど間に合わない。
お兄ちゃんは無言でにっこり笑った後、私の両手に先回りして。


「にーにの言うこと、最後まで聞こうな。ご褒美あげようって話だったのに、困った子でちゅね。まゆりは」

「〜〜っ、それ、今出します!? にっ……にーにじゃなくて、お兄ちゃんは両親に紹介された彼氏……っ」

「……はあ……」


また溜息を文字で。それも、盛大に。


「前言撤回。まゆりは、今もある程度めちゃくちゃ」

「……良くも悪くもマシになりましたし、お兄ちゃんは今の方がめちゃくちゃです」


拗ねてついそんなことを言って、額への衝撃を覚悟した。
でも、考えてみたら大丈夫だ。
私の手を掴んでるお兄ちゃんの手だって、塞がってるんだから――……。


「それだよ」


痛みは、ない。
唇の感触を脳が理解したのは、それが私の唇へと移ってから。
その時には、既に私の両手も自由だったのに。


「謝ったのは、それ。迷惑だとか、嫌嫌とか。……もしかして、嫌われてるって誤解させたこと」


「ごめんな」と囁かれながら、髪を整えられたら。
何のことだか思い当たらないのに、ふるふると首を振るしかできなかった。




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