彼ラン!〜元許婚が逃げ込んできたので、匿うつもりがなぜか同居することになりました〜
「……だから、にーに呼び強要してるんですか? 」
そう尋ねたのは単純に疑問だったのと、上から降ってくる視線があまりに熱すぎて耐えられなくなったのと。
「それは、まゆりの反応が面白いから。……あと、言っただろ。時々、まゆりに知らない大人の女性みたいな表情されて」
照れ隠しのふりして、逃げたつもりだったのに。
「……俺が、理性失いそうになるから」
逃げるどころか欲しがって、瞼を閉じていた。
「……時々ですか? 」
正直、嬉しかった。
ニヤニヤしてしまいそうになるのを我慢すると、その不満が出てしまう。
だって、私は毎日大人なお兄ちゃんにドキドキしてるのに。
「そこ、拗ねるとこか? そんなしょっちゅう理性飛びまくってたら、ヤバいだろ。ドーブツじゃないんだから」
「……それはそうですけど」
(それを、大人の余裕って言うんだけどな)
大いに拗ねるとこだ。
もちろん、こうしてくっついてれば、何もかも大丈夫みたいな安心感はある。
お兄ちゃんの体温を感じて、ほっともしてる。
でも、だからこそ、同時に言い表せないような焦れったさや狂おしさも感じて、頭の中がぐちゃぐちゃにもなりそう。
「何か試してる? ……それとも俺、今」
――誘惑されてるの?
(……そんなつもりじゃ)
本当になかった?
お兄ちゃんが軽いキスしかしてくれなくて、もどかしくて焦ったりしなかった?
子どもっぽく拗ねてみせて。
「そんなつもりない? ……そっか、ならやっぱり俺」
――理性、どっか行ってんのかも。
「今、お前の何もかも、俺を煽ってるように見えてる……」
違和感を覚えてゾクリとした私に、お兄ちゃんは笑ったけど。
それが何なのか思い当たる頃には、既に真顔に戻っていた。
(……ちょっとだけ、口調が違う。それだけ、なのに)
――お兄ちゃん、なんて呼べない。
「……かな…とさ……」
自分の名前を呼ばれて、ものすごく驚いたって見開いた目は丸い。
なのに、ふっと黒目が逸れて、ほんの僅かに上がった唇はお兄ちゃんという呼びかけにちっとも相応しくなかった。
「絶対わざとだろ、それ。今そんな顔で名前呼んだりして。にーに、忠告したよな? なのに、簡単に俺をただの男にさせるの。……それでいいってこと? 」
忠告も牽制もされた。
優しく甘く、お兄ちゃんでいてくれた。
きっとこれからも、私は彼をお兄ちゃんだと呼ぶだろう。
「……だって、私は妹でいたことありませんよ」
子どもだからこその、年下だからこその狡さかもしれない。
どんなにお兄ちゃんだって、大人だって彼を言い表しても。
私は、ただの一度も彼の妹になった記憶がないんだから。
「妹になりたくなっても、もう手遅れ。煽られ続けて、何かプツッと切れちゃったし。……もう遅いよ。ちゃんと分かっててやってるんだろうな」
もう遅いと言いながら、念を押してくる哉人さんが焦れったくて少しイラッとしてしまうくらい、好き。
だから――……。
「……ムカつく。理性も余裕もこんなに奪っておきながら、可愛くないことばっかり言ってるのが可愛くて」
思ったことも、覚悟したことも言えない。
ここにきて委ねようとするのは、紛れもなく確信犯の狡さ。
「……お前の余裕も全部、失くしてやりたくなる……」
そんなもの、最初から存在しないのに。
ただね、私は。
「……哉人さんがすきです……」
今も昔も、心をずっと占めてる絶対的なものに寄り掛かっているだけ。