彼ラン!〜元許婚が逃げ込んできたので、匿うつもりがなぜか同居することになりました〜
依子さんが私の実家を突き止めたように、私だってやればできた。
それほど遠くなかったのは幸いで、「家を継ぐ」ことに立ち向かっている人には珍しいことじゃないかもしれない。
大変さ、理不尽さ――その他、いろんなことが分かり合えるから、お兄ちゃんもそのままにしておいたのかもしれないな。
逃げてしまった私には、入り込めないものを感じて苦しい。
(……でも、前にも決めたことだった。決めたらやるって)
「依子さん。今回は大人しく……」
(悪女役、譲ってくださいね)
深呼吸はしなかった。
一呼吸でも置いてしまえば、震えてしまいそうだったから。
――だって、今からめちゃくちゃなことするって自覚はある。
『はい』
インターホン越しの声は誰だろう。
声の感じからすると、依子さんのお母さんかな。
誰だろうと、私は気が狂った悪役でしかない。
だから、どうやるなら派手にやって、やり遂げないといけない。
「依子さんいます? いないなら、伝えてください」
(お兄ちゃんには申し訳ないけど……)
いや、ダメだ。
ここまで来たんだから、後はもういい結果しか考えちゃいけない。
(だって、やっぱりおかしいよ)
好きな人と想いが通じ合ってるのに、他の人と結ばれるなんて。
どんなに子どもでも、それを大人の事情なんて呼びたくはなかった。
私は、勝手だ。
目に映るものはハッピーな方がいいなんて、お節介を遥かに通り越して無責任すぎる。
それでも、疑問に思わずにいられなかった。
最愛の人に好かれないのと、どちらがより辛いだろう――そう、ふと過ぎってしまう。
何度考えても分からないのなら、そのうちの一つを選ぶ前にできることがある気がするから。
「私、哉人さんの婚約者です。哉人さんと結婚するのは私だから、諦めてくださいって」
(……言った……)
依子さんに負けず劣らずの、強気感が出てたらいいけど。
とにかく、これでご家族は大混乱。
信じるにしろ、疑うにしろ、他に女性の影がある男をそのまま大事な娘の婚約者にはしておかないはず――……。
『……失礼します』
「……え」
(切られた……!? それも、めっちゃ冷静に無視……!! )
しまった。
取り乱すか怒り狂うかを想定していて、落ち着いて対応――もされずに切られるなんて、思いもよらなかった。
「えぇぇっ!? 」
いや、ここで諦めてなるものか。
『……はい』
ピンポン、ピンポン、ぴんぽん。
さすがに連打は迷惑だったのか、さも嫌そうな声が路地に響く。
「伝えていただけます!? その、本当に私が! 哉人さんの婚約者で、えっと……あの!! 」
相手は無言なのに、こうも感情が読めることがあるたろうか。
(……絶対、“こいつ、頭おかしい”としか思われてない……。こ、そうなったら……!! )
狙ったけど、それで相手にされないのは困る。
『……まだ、何か』
「お嬢さんにしつこくされて困ってるんです。もう終わりにしてほしくて。だって、私……」
『……失礼しま……』
(今度切られたら、もう二度と出てくれない気がする)
そう思って、咄嗟に私は宣言した。
「もう、哉人さんとの子どもだって考えてるんですから……! 」
『……は……? 』
初めて、声に動揺がみられて、溜息を吐きそうになるのをぐっと堪える。
「諦めてください」
必死で低く落ち着いた声にトーンダウンさせて、引き留めておきながら一方的感を意識して立ち去る。
豪邸が見えないところまで来ると、脚の力が一気に抜けて壁にもたれ掛かった。
「……はぁ……」
(……悪女って大変……)
――なり切れた気、まったくしないけど。