彼ラン!〜元許婚が逃げ込んできたので、匿うつもりがなぜか同居することになりました〜
お兄ちゃんの言い分も分かるし、有り難い話だとも思う。
善意で言ってくれているのはもちろんだし、単なる事実として、お兄ちゃんには金額としても問題ないんだってことも。
そういう問題じゃないと私が感じるのも、理解してくれてるんだろう。
「……怖くなった? 俺とこの先に進むのが、不安になった? 」
「だから、違います……! 」
進むこと自体は怖いかもしれない。
不安だとも思う。
でも、それはお兄ちゃん「だから」じゃなくて。
お兄ちゃんとなら、怖くても不安でも進みたい。
お兄ちゃんなら大丈夫だと思うし、後悔もしない。
「とりあえず、お金返させてください。そ、それから、家事もやります。お兄ちゃんの方が忙しいんだし……」
「でも、それも俺の方が上手いだろ。早いし」
「……そ、それは仰るとおりなんですけど! だから、そういう問題じゃないんですよ……! 」
そうだ。
お兄ちゃんの方が何もかも上手いし、効率がいいし、きっとどんなに頑張っても追いつけない。
そもそものスタートラインが圧倒的に違う。
(そんなの、分かってるけど……)
だからって、何もしなくていいわけじゃないのに。
結婚して、家にいて、家事もできないしやらないばかりか、ちっともお金にはならない好きなことだけやっていくの?
好きな人がいてくれて、仕事から帰ったら甘やかしてくれて。
なんて幸せなんだって、思えてしまうようになったら。
――私は、一体何の為にいるんだろう。
「……その、今は下手くそだし、お兄ちゃんより上手くなれる気はしないけど。でも、頑張るから……だから」
「頑張ってほしいんじゃない」
愛情だとは思った。
みんな――誰がが無価値でガラクタみたいだって言ったものを、無条件に受け容れてくれるほどの。
でも、お兄ちゃんの声とは思えないほど、冷たい。
「まゆりが好きだ。今のまま、変わらなくていい。そのまま、側にいてくれるだけで……違うな。それは大嘘」
自分で気づいたんだろう、慌てていつもの声色にして、ゆっくり話してくれる。
「俺といる為なんかで、頑張ってほしくない。はっきり言って、俺は特殊だろ。ただでさえお前は自分の家のことで悩んでるのに、更に面倒な状況にさせてる。それを一番俺がよく知ってるのに、それでも諦めてやれない。だから、その分の見返りはあっていいんだ。俺に悪いなんて、思わないで」
頬に触れられて、ビクンと跳ねたのは肩の方で。
切なそうに見つめられて熱くなったのは、瞼だった。
「それじゃ気が済まないって言うなら、別のことで返してくれないか。デートに行った時にお前の好きなこと教えてくれて、そこで奢ってくれるとか。家事は……そうだな。確かに、してあげすぎたかも。でも、まゆりのアパート思い出すと、一人で任せると危ない気もするし。今度から、一緒にしよう。俺が遅くなる時は、交代制にするとか。な? 」
明るく、冗談ぽく。
でも、その前に掠れて聞こえたのは、絶対に「ごめん」。
「……哉人さん」
首を振った拍子に我慢していた涙が頬を伝って、再びお兄ちゃんを見上げた時には既に優しく拭かれた後だったのに。
「好きです。じゃなきゃ、あんなことしません」
「どれのことだろうな。心当たりありすぎて、困るくらい……」
――嬉しいよ。
大人になろうとした私がやっぱり子どもすぎたのか、考え自体が間違いだったのか。どうしたら、正解なのか。
ぐるぐる考えても答えは出ないのに、また涙が落ちていく。
(お兄ちゃんの言ってることは、やっぱりよくない。そう思うのに……)
ちっとも妥協案になっていないのは、結局私の為。
お兄ちゃんこそ、それなら契約をもっと利用すればよかったのに。
好き。
お互い、きっと同じ。
なのに今、私たちは同じ方向を向いてるのかな。