彼ラン!〜元許婚が逃げ込んできたので、匿うつもりがなぜか同居することになりました〜
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(何これ……どこぞの、趣味の悪い豪族か何かの、息子の家……? )
家まで案内された時もそうだったけど、部屋に通されて入口付近から全貌を見渡すと、慣れ親しんだ自分の部屋との格差に頭が真っ白になる。
これが部屋だと認識してるのに、自分の見たものが何なのかまるで分かっていないみたい。
「何が珍しいの? 金のかかった部屋? それとも、男の部屋? 」
「べっ……つに、そのどっちでもありませんよ! 」
正しくは、「そのどっちも」なんだと思う。
久しぶりに見た豪邸と、初めて入る男の人の部屋に脳が反応しきれない。
「そう? ま、確かに、昔住んでた屋敷は古かったもんな」
そういえば、そうだった。
お兄ちゃんのお屋敷は、如何にも格式高い旧家という感じで、こんな高層マンションは初めての経験だ。
「何にしても、緊張しなくていいよ。俺がいなくても、部屋、好きに使ってくれていいし。あ、でも、予定外に出かける時とかは教えて。心配するから」
「……うん」
(……そうだよね)
同居っていったって、もしかして、お兄ちゃんはあんまり家に帰ってこないのかも。
忙しいだろうし、フェイクの婚約者と四六時中一緒に過ごす意味ないもん。
「……それと。寛いでくれていいけど、あんまり怠けすぎるなよ? 」
「……はーい。いくら私でも、会ったばかりの他人の部屋でダラダラしないですよ」
それを言うなら、いきなり同居なんてしないけど。
今の話からすると、同居じゃなくて部屋を借りてるに近いのかな。
それも、意味不明すぎるけど――……。
「いや。ダラダラすること自体は構わないけど……にーにも男だってこと、忘れないように」
不貞腐れた頬を緩く摘んで、きっと真ん丸になった目を意地悪に覗き込みながら笑って――もっと、意味不明なことを言った。
「な……、またからっ……か、からっ、からかって遊ばないでください! お兄ちゃんが男じゃないっていうより、私がお兄ちゃんにとって女じゃないん……」
楽しそうに摘んでいた頬を離すと、ふっと表情が変わってギクリとする。
突然真顔になったお兄ちゃんは、背が高くて格好よくて、綺麗な顔をした、「ただの」知らない男の人で。
「なんで、そう思ったんだ? そんなこと、一言も言ってないのに……ああ、ごめん。まゆりが悪いんじゃないんだ。また誤解させた、俺が悪い。ごめん、そんな顔しないで」
(……また? )
「言い方が悪かったな。お前を“面倒くさくない”って言ったのは、子どもだからとか女として見てないとか、そういうことじゃなくて。寧ろ、逆だよ」
怯えられてやっと自分が無表情だったと気づいたのか、慌てて優しく微笑むと、頭を撫でてきた。
「まゆりとだったら、そうなっても何も問題ない。お前は、もうすっかり忘れてたかもしれないけど……俺には、ずっと大事だった許婚だったからね」
「……え……」
お兄ちゃんが、ずっと覚えててくれた。
ううん、あんな小さい頃の約束とも呼べない思い出を、守ろうとしてくれてた。
「まゆりは、もうこんなオジサンは嫌……? 」
「……っ、ず、るいですよ……! 」
好みなのがバレてて、どう逃げたらいいのか。
お兄ちゃんを、「今は他人」だとは思えても、「恋愛対象外のオジサン」だとは未だに思うことができない。
「確認。もう逃げられたくないからさ」
「……別に、お兄ちゃんから逃げたわけじゃ……」
つまり、私はやっぱり逃げたんだな。
しがらみからも、守ってくれる優しさからも、そこにちょっとはあったアイデンティティからも。
「ごめんな。責めてなんかないから。まゆりは、俺に比べたらずっと偉いよ。よしよし」
逃げたけど、それでも一生懸命ではあった。
それを本当は、こんなふうに「よしよし」されたかったのかも――。
(……って、その話と違う!! )
話を大幅にずらしまくって迷子にさせられた結果、よく分からない方向に誘導されて丸め込まれてる。
「あれ。だめ? そっかー、ダメだったか。いい感じに、おめめ、とろんだったのに……まゆり、大人になっちゃったんたな」
「開き直って、怪しい単語連発しないでください!! 」
イケメン、上流階級、オトナ、謎すぎるけど優しいは優しいし甘い……何と言っても、身元ははっきりしている。
そんな人によしよしされたら、恋愛経験ゼロの貧乏女はころりといきたくなってしまう。
「でも、嘘でも詐欺でもない。まゆりだったのは、演技もフェイクもする必要がないからだよ。……だから、どうせ対象外だって、間違った認識でいると……」
――にーに、「よしよし」じゃ済まなくなっちゃうかも。