彼ラン!〜元許婚が逃げ込んできたので、匿うつもりがなぜか同居することになりました〜
その夜。
「どーぞ」
「……へっ? 」
食事を終えて、片付けも一緒にして。
私が淹れたお茶を一口飲んでから、お兄ちゃんが言った。
「言いたいことあるの、ずっと我慢してるんだろ。どうぞ」
食事中、いやお兄ちゃんが帰ってからずっと、つい、じーっと見てしまっていたようだ。
「……うん」
苦笑いすら、優しすぎて切ない。
もしかして、切り出すのをずっと迷ってたのかな。
それでも気づかないふりができないお兄ちゃんは大人で、私に都合のいいように私を子どものままでいさせてくれる。
「私、家事もまったくできないし、ズボラだし、いい加減で。こんなあり得ない申し出に飛びついておきながら、言えることじゃないけど。やっぱり……やっぱり、お兄ちゃんは間違ってると思う」
どの口が言うんだろう。
でも、私たちのこの関係が恋愛なら。
それが、真実だと信じてる。
「お兄ちゃんが、年の離れた昔の許婚なら。親戚なら。この気持ちが、恋じゃなかったら……私はきっと、ずるずる甘えっぱなしだったんだと思います。でも、本当はきっと」
――最初から、最愛の人だった。
「大人になって、私は何者でもないんだって分かってから、側にいるのが怖くなって逃げました。逃げてからも、お兄ちゃんはお伽噺の王子様みたいなものだと思って忘れたつもりになってたけど。……ずっと、好きだったんです」
昔読んだ絵本みたいに。
「めでたしめでたし」が苦しくて封印したキラキラしたものは、どこか心の片隅には残ってた。
消えてしまうことができなかったものは、一度それが現実だと知ってしまえば、もう二度と忘れられない。
「……お兄ちゃんだけだったんですよ。私が大好きだって言えたのは。自分からキスできたのは。絶対、もう他にはいないんです」
憧れだった。
どんなに自分には起こり得ないと納得させても、大好きだった。
諦めは忘れることに役立ったけど、本当はずっとずっと欲しくて堪らなかった。
「そんな人に、自分を丸投げできるわけないじゃないですか。私の“責任取って”は、あの頃だってそういう意味じゃなかった」
一緒にいてほしいの。
笑っていてほしいの。
その為にはどうしたらいいのか、ちっとも分からなかったけれど。
お兄ちゃんが抱えているものは、子どもの私の腕には収まりきれなかったと思う。
ねぇ、でも、今ならもう少しだけ。
「私にだって、何かさせてくださいよ。好きな人と一緒にいる為に、少しは責任取らせてください。こんなこと、お兄ちゃんじゃなきゃ思えない……ん……」
――できること、探せるから。頑張れるから。
「何かしてほしいわけじゃないって」
キスで抗議できないようにするなんて、大人は狡い。
私はまだまだ敵わないって言われてるみたいで、泣きそうになる。
「……でも、反省はした。頑張ってほしいわけじゃないのは本心だけど、それだけじゃなかったから」
でも、違った。
また聞いてもらえないのかと落胆したのが伝わってしまったんだろう、少し腕の力が緩む。
「何もしなくていい、できなくていい。そうしたら、まゆりはここにいるしかできないから。そんな気持ちは、絶対あった。やってることは、監禁と一緒だ」
「……そんな……」
そうかもしれない、と思う。
思いはしたけれど、首を振れたのは。
「正直、まだそれは消えないけど。まゆりが正しいのは分かるよ。嫌だけど……了解」
私はお兄ちゃんが好きで、一緒にいたいのは同じだから。
自分で言い出したのに泣くのを堪えていると、「泣きたいのは俺なんだけど」って、瞼に触れるか触れないかのキスが落ちてきた。