彼ラン!〜元許婚が逃げ込んできたので、匿うつもりがなぜか同居することになりました〜
ざわりと、空気が揺れた気配すらした。
周りの目が一瞬でお兄ちゃんで留まって、そのまま釘付けになったと思う。
「ん? びっくりした? 」
頷くしかできない私を、まだ不思議そうに見つめるお兄ちゃんは、この視線を感じないんだろうか。
それとも、最早慣れっこかのかも。
今まで生きてきて、四六時中と言っても過言じゃないことかもしれないし。
「ごめん。急に早く帰れることになったからさ。最近、待たせてばっかりだったし、たまには外食でもどう? あ、せっかくだから、家でゆっくりしてもいいけど」
「……デート、したいです」
何だか、一気に不安になった。
お兄ちゃんのせいなんかじゃ、絶対にない。
こんなの今までに何度もあったし、これからも起こる。
「ん。俺も。ほら、乗って」
「ありがとうございます」
堅苦しい言い方だったかも。
少し眉を上げたけど、すぐに私の背中に腕を回してくれた。
(……子どもっぽいな)
食事に誘ってくれたのを、わざと「デート」って単語に変換したりして。
誰に聞かせなくても、私にとってはデートだということは変わりないのに。
「どうした? 大人しいな」
いつも騒がしいもんね。
心配して聞いてくれてるのに、心の中で皮肉で返してしまうのも。
「ただのヤキモチですよ」
「いつ? 迎えに来てから、まゆりにしか会ってないのに」
「お兄ちゃんは、誰にも会ってはないかもしれませんけど……」
はぐらかすのも難しいと判断して、ありがちだけどちょっと違う理由にした。
「そういうこと。俺のなかで、登場人物はまゆりだけ。でも、ごめん」
「……違っ……! 」
また謝らせてしまった。
この勝手で意味不明な感情を、手っ取り早く表現して伝えただけなのに。
「お兄ちゃんは悪くないです。子どもっぽくて、ごめんなさ……」
動き出したばかりの車が、信号で止まる。
運転席から伸びた手が、少し焦ったように私の手に重なった。
「子どもっぽくない。彼女っぽい、だろ。それに事実。その理論でいくと、俺は嫉妬もできなくなる」
「……すること、ないですよ」
事実でも自虐めいた言い方になって後悔してると、ちょうど信号が青になった。
「あるよ。だから迎えに来たし、アピールもしてる」
「……誰に向けてですか……」
手が離れたことに少しほっとしてると、なぜかクスッと笑って。
「まゆりは、俺の他に誰にも会ってない認識かもしれないけど」
「だ、誰もいませんでしたもん」
台詞を真似られたことに気づかないふりしてると、これもまた真似のつもりなんだろう、大いに拗ねた感じで続けた。
「まゆりを登場人物にしてる男がいそうだったから。大人げなくてごめん」
「……哉人さん」
すぐに譲ってしまうところが、お兄ちゃんなんだ。
年上なのもあるけど、哉人さんの性格なのか昔の記憶のせいなのか。
これじゃ、いつまで経ってもお世話気分にさせてしまう。
「文句言ってもいいところですよ? 注目されるのはお兄ちゃんのせいじゃないんだって」
(……って)
「可愛いヤキモチに文句言うとこないだろ。俺には可愛いだけだけど、嫌な思いしたのはまゆりなんだから。……ん? 」
――じゃあ私、お兄ちゃんにどんな気分になってもらいたいの。
「……なんで真っ赤? 拗ねてたと思ったのに」
「〜〜っ、ま、前! 前向いてください! 」
追及しないで意味ありげに笑うなんて、大人ってやつはムカつく。
「はいはい。いいよ、後でおうちで聞き出すから。……っと、到着」
おしゃれで高級そうで、でも私がギリギリ入れそうなお店。いろいろ気を遣ってくれたんだろうな。
(……大人って)
やっぱり、格好よくて素敵で――ちっとも敵わない。
「待って」
降りる時もドアを開けて、お姫様みたいで恥ずかしい。
「緊張しなくていいから」
(そんなの、無理ですよ……)
お店に入る前から、既にこの状態なのに。
何から何まで思考筒抜けらしく、笑って私の肩を寄せた時。
「……あれ? 」
知らない男性の声が聞こえて、お兄ちゃんの動きが一瞬止まった。