彼ラン!〜元許婚が逃げ込んできたので、匿うつもりがなぜか同居することになりました〜




目を瞑って、ふと息を吐いたのが聞こえた。
心配になって見上げた時には、もうお兄ちゃんは顔を上げていて。


「ああ、びっくりした。お疲れさま」


さっきのは見間違いかと思うくらい、爽やかな笑顔を相手に浮かべている。


「お疲れさまです。まさか、こんなところで会うなんて。もしかして……彼女さんですか? 」


探るような視線に、一気に強張った身体を自分の方へそっと寄せて。


「婚約者だよ。まゆり、会社の部下の人」

「あはは。雑な説明、わざとですよね? そんな牽制しなくても、雲の上のお方の婚約者さんなんて奪いませんよ」


挨拶する暇も与えず、こちらも負けず劣らず――ううん、お兄ちゃんには圧倒的に負ける――笑顔で対応してるけど。


「それにしても、意外です。お相手が、そんなに可愛いらしい方なんて」


(……っ)


息を飲むのも、唇を噛むのも。震えるのだって我慢した。


「俺には勿体ないって、よく……」


なのに、瞼の熱は引いてはくれないどころか、膿むようにじわじわ拡がっていく。


(……泣かない。大丈夫)


「……って言われるくらいになるように、頑張りますね! 哉人さんに、恥ずかしい思いさせ」

「そんなのしたことないよ。これからも、するわけない。……俺は、まゆりが俺を選んでくれたのは奇跡だって思ってる」


哉人さんの大袈裟で直球すぎる表現が甘すぎて、瞼とは対象的に冷えきった頬を一気に温めてくれた。


「うわ。その完璧さでそういうこと言われちゃうと、凡人は立つ瀬ないなぁ」


(……この人が傷つけたいの、私じゃないんだ)


私なんて眼中にない。
お兄ちゃんを怒らせたくて、悲しませたくて。
本人が完璧で隙がないから、突っ込みやすい私をチクチクしてるだけ。
一番簡単で、一番効果的な方法を、意図的にこの上なく分かりやすく取っている。


(……あったまきた)


「……やっぱり、そう思います? 格好いいし優しいし、きっと会社でも仕事ができて完璧ですよね! (あなたと違って)」

「……まゆり? 」


いきなり何言ってるんだって顔に、「あ、スイッチ入った」って焦りが見えだしたけど止まらなかった。


「まゆ……」

「ほんと(あなたみたいな)凡人は敵わないっていうか! 分かります」


私も負けじと言外に嫌味を分かりやすく詰め込んで、ふっと息を吐くと、もう涙も引っ込んでた。


「……でも、大好きだから。側にいたいから」


私のせいでお兄ちゃんが言われるのは辛い。
面と向かって言われてるくらいだ、きっとお兄ちゃん一人の時はもっとこんなことが起きてるんだろう。
そう思うと申し訳ないし、情けなくて辛くてどうしようもなくなる。


「諦めません。絶対に」


(そうだよ。そこが揺るぎようがないんだから)


「馬鹿。誰に宣言してるの」

「……う、ですね。つい」


本当は「つい」じゃなくて、言いたいこと全部言い切ってしまいたかっただけだけど、もちろんお兄ちゃんも分かってる。


「あー、でも、可愛いな。お前は本当」

「…………思ってないですよね」


くくっと笑いながら言われても、説得力が――……。


「思ってるよ。あんまり可愛いから、食欲が失せて別のが込み上げてくるくらい」

「……な、何言って」

「な。いい年して、何言ってるんだろ。まゆりのせいだけど。ほら、早く店に入らないと、俺の気が変わるよ。……おいで」


――なかったのに。

本当にそんな目で見つめられてる気がして、すごく嬉しい。


(……でも、本当だ。この人が教えてくれたと思わなきゃ)


たとえ、お兄ちゃんの両親が歓迎してくれても、他は必ずしもそうじゃないってこと。







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