彼ラン!〜元許婚が逃げ込んできたので、匿うつもりがなぜか同居することになりました〜
全体周知〜婚約者が飛び込んで来たので、もう逃がすつもりはありません!?〜






「……………え!? 」


(……な、なに、これ……)


首筋のこれ。
痣? いきなり?
それとも、虫刺され?
この、蚊一匹すら飛べないような高層マンションで?
刺されたっていうか、これはもしや、その吸……いや、だから!!
えっと、いつ――……昨日?
昨日っていうか、昨夜では??
昨夜ってことは、本当にもしかして。
私のゼロと妄想に近い知識からすると、つまり。

――キスマーク、ってやつでは。




・・・



「眠そうだな。あんなに爆睡しといて」

「……そういう哉人さんは、朝から爽やかですね」


とても、昨夜色気増し増しでキスしてきた人と同一人物だとは思えない。
いや、そんなのみんなそうなんだろうけど。
というか、目の前のお兄ちゃんと、あの哉人さんのギャップを比べただけで既にエロい。


「なんだ。先に寝ちゃったの拗ねてる? 期待に応えられなくてごめん。今度は飲み過ぎないようにする」

「……拗ねてません! 」


(えーえー、拗ねてますよ)


もう何度目か、今度こそはって覚悟だったのに彼氏が酔っ払って寝ちゃうとか、もう拗ねるしかない。


「……あの」


あの後、本当に寝ちゃったのかな。
私の記憶にあるところまでは、キスマークをつけられるようなことはなかったと思う。
たとえ哉人さんがあの後起きたとして――もしかしたら、本当は眠ってなんかなかったのだとして。
これをつけたんだとしても、絶対にそれ以上のことはなかったはず。
そんなことは疑ってない。
そうじゃなくて、私が知りたいのは。

――どうして、眠ったふりなんかしたんだろう。


(どうして……? )


最後までしてくれなかったんだろう。
その気じゃなくなったのなら、どうして痕なんてつけたのかな。


「ん? 今日は遅くなるかもしれないから、待ってなくていいよ。あ、出掛ける時は、ちゃんと事前に言うこと。どこかに突入する時は特にな」

「四六時中、どこかに突撃してるみたいに言わないでください」


「してるだろ」笑ってブラックのコーヒーを飲みながら、シュガーポットを取ってくれた。
お兄ちゃんには不要の、完全に私用の可愛い糖分入れ。


「……人の為に、あんまり無理しないでくださいね」


休日なのに仕事。
あの人にも会うのかな。
気遣いしすぎて、オーバーヒートになる私とは違う。
途中で壊れてしまう私より、壊れずにできてしまう哉人さんが心配だ。


「うーん。自分とこの会社だしな。ま、仕方ないよ」


(……それだって、自ら望んだわけじゃない)


「……哉人さん! 」


私の分までカップやお皿を片づけて、シンクに向かうお兄ちゃんを引き留めた。


「今日、帰ってきたら……その。ひとつ、何でも聞いてあげます。何か考えといてください」

「何でもって……いきなり、何のご褒美? 」


何のでもない。
それにきっと、ご褒美じゃなくて私の自己満足だ。


「何でもいいですよ。でも、本当にお兄ちゃんが望むことにしてください。私の為とか、私や周りが喜ぶことじゃなくて、ちゃんと……哉人さんのしてほしいこと」

「……まゆり」


引き留めたいと思ってごめんね。
これじゃ、本当に駄々っ子だ。
お兄ちゃんの背中にへばりついて、「もう少し一緒にいて」と強請ったあの時の方が、台詞だけは大人だったかもしれない。


「朝から俺を誘惑しないで。今から、どう仕事すればいいんだよ。ご褒美の前に拷問だろ」


背伸びして欲しがる、大人の私よりもずっと。
ほんの少し、本当にイラッとしたのかもしれない。
言葉はいつもどおり優しかったけど、キスはいつもよりちょっとだけ荒かった。


「……まゆりのせいで時間なくなった」

「……か、片付けとくので! ……いってらっしゃい」


行かなくてもいいのに、なんて。
自分勝手この上ない言葉をどうにか飲み込んで、哉人さんの背中を送り出したけど。


「いってきます。……楽しみにしてるから、いいこにしてて」


キスは、軽い「いってきますのキス」。
でも、その指先が触れたのは。


(……あ……)


隠していたはずの首筋。
聞けなかったことすらお見通しで、答えをくれた理由。
今夜、聞けるのかな。










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