だから聖女はいなくなった
 成功者の耳に届くのは賛美の声だけではないだろう。そこには黒い嫉妬だって混じってくる。物事にはよいところもあれば悪いところもある。それのどこを切り取って話題にするかは、個人の自由なのだ。
 それでも、その自由な言葉を悪い方向へと補う者がいる。となれば、そこには怒りや嫉妬の感情が芽生え、小さな争いの種ともなりかねない。

 その種を握りつぶす力がある者が最終的には勝つ。そして、デイリー商会にはその力があった。
 それもこれも、狡猾なアイニスの兄の手腕だろう。
 デイリー商会にまとわりついていた黒い噂や嫉妬は、やがて聞こえなくなり、褒め称える声だけが聞こえ始める。
 それだけの風格をデイリー商会は持ち合わせるようになったのだ。むしろ、そういった悪意さえ利用したのかもしれない。

「父が爵位をいただいたのは、私が十歳のときです」

 それはサディアスも人を使って調べた内容でもある。
 デイリー商会長、すなわちアイニスの父はそれまでの功績を認められ、叙爵をという話になった。
 これは、デイリー商会がこれ以上の力を持つのを防ぐための施策でもある。こちら側に引き入れて、動きを制限させたいというのが貴族院側の考えだったのだ。
 特に存在感を表し始めたデイリー商会は、平民だけでなく貴族の心もとらえ始めている。さらに、王都の民だけでなく、地方に住んでいる者にもデイリー商会のよさが広まっていく。

「今までただの商売人だった娘が、いきなり貴族と呼ばれるような方々の中に混ざれるわけがないでしょう? それでも、兄も父も……いえ、特に兄が、私に貴族としての振舞を身に着けるようにと、厳しく言い出しまして……」

 アイニスの身の上話が始まってしまった。
< 45 / 170 >

この作品をシェア

pagetop