虐げられ未亡人はつがいの魔法使いに愛される
08 白
二人の生活は穏やかに過ぎていった。朝と夜に触れるだけのキスをして。
朝のイリスからのキスはいつもぎこちなく。いまだに手はどうすればいいのかの正解もわからないままで。立ったほうがいいのか、座ったときにしたほうがいいのか、それもわからない。
そんなイリスを見るアンリは、少し面白がっていたり子供を見るようだったりあたたかかったり様々だったが、穏やかに受け入れてくれていた、と思う。
夜のアンリからのキスはいつどこで落とされるかわからなくて、アンリが近づくとそっと期待してしまう自分を恥ずかしく思ったりした。
夜はキスだけでなく、少し頬を撫でてみたり、ゆるく抱きしめてみたり、どこかイリスに触れるから気持ちは落ち着かなかった。
もちろん嫌ではなくて、イリスにとっては完全に医療行為ではなくドキドキさせられる時間だった。
今夜は二人でソファに座って話をしているときに、そっと肩を抱かれた。アンリの方を見るとそのままキスされて、またイリスはぎゅっと息を止めた。
「イリス、鼻で息できる?」
目を開けるとアンリが小さく笑っているのが見えた。そしてイリスの眉間を指で優しく押した。
「いつも眉間にシワ寄ってるし。いつまでたっても緊張してる」
「仕方ないでしょ」
イリスも自分で眉間のシワを伸ばしてみる。何度されても息を止めてしまう。
「鼻で息してみるわ」
「本当かな?」
またアンリがいたずらっこの顔になったと思った途端、キスされていた。
いつも朝と夜、キスは一回だけだ。特に決めたわけではないが、それが毎度のことだからそういう物だと思っていた。
初めて二回目のキスだ、イリスが驚いているとアンリの顔が離れた。
「今回はシワ寄ってないね」
驚いて目を開けたままだったから当たり前だ。至近距離でアンリがイリスの顔を確認しているから落ち着かない。
「でもやっぱり息は止めちゃうよね」
「今は突然だったから仕方ないわ」
楽しそうに笑うアンリにイリスは抗議する。
「じゃあ、練習してみる?」
そうやって見つめられると何も言えなくなる。練習って?もう一度キスをするってこと?一度じゃなくてもっと?
顔の熱がどんどん高くなる。絶対に今赤くなってるとイリスが思う程さらに顔は熱くなってしまう。でもアンリから目をそらせない。
「冗談だよ」
イリスが何も言えないでいるとアンリは立ち上がった。
「じゃあ僕はそろそろ寝るね、おやすみ」
そう言ってアンリはひらひらと手を振って寝室へ向かっていった。
「アンリはずるいわ」
絶対にキスに慣れている。楽しんでる余裕すらある。どうせしないといけないキスなのだから、それくらいの気持ちで行わないといけないのに。
いつまでたっても慣れないし、いつまでたってもドキドキする。
毎回気付かされてしまう、期待していることを。
恋人になったら一度だけじゃなく、何度でもできるのかな。とそう思ってしまう自分を認めるしかなかった。
・・
イリスは図書館へ来ていた。花蜜病の文献を調べていたのだ。
イリスは居候として家事をする他、今後やりたいことを考えていた。
働くのは好きだし、魔法を使う仕事もしたい。
アンリは学生の頃から治癒魔法が得意で、三年間それだけはイリスも敵わなかった。
イリスは優秀だが飛び抜けて得意な物があったわけではない。学生の頃の夢も今思えば魔法局で研究をしたり魔力を生かせる仕事がしたいと思った程度だ。
そのことをアンリに話すと「何でも出来るのも困ったものだね。じゃあ興味があることを探せば?」と言われて、一番に思いついたものは花蜜病だった。自分たちの置かれている状況も知っておきたい。
アンリの言葉に甘えて、職を探す前にゆっくり花蜜病を学ばせてもらうことにしたのだ。
文献を調べてみても花蜜病は謎が多く、解明されていないことも多かった。結婚制度ができるまでの歴史や、死に至った患者の症状などは記録されているが、原因や解決方法はない。
そして先日思っていた通り、やはり花蜜病はペアによって花が違うらしい。
申請しなかったフローラはすずらんだと言っていた、アンリに聞くとルイ王子は薔薇だったらしい。そしてアンリはイベリス。
花に共通点はないし、過去の発症者も様々だった。
「アンリがあの時、私のことを匂いでわかったのは花がそれぞれ違うからなのね」
花蜜病のフローラは初期症状として香水を纏ったように花の香りがすると記されているが、アピスにも香りが現れるとは書かれていない。
「フローラだけしかわからない香りなのかしら」
嫌味なベルトラン家の面々に香りについて何も指摘されなかったのなら、誰もがわかる強い香りを発しているわけではなさそうだ。
あの日、アンリは探索魔法を使ってイリスを探し出したと言っていた。香りはほとんどないのかもしれない。
ベルトラン領の採掘場で鉱脈を探し出すときにイリスも同じ魔法を使っていた。今となっては得意魔法とも言える。
「……。」
イリスはやりたいことが見つかった気がする。
イリスにやりたいことが見つかったら、アンリは自由に出ていってもいいと言った。だからイリスはいままで何も言えなかった。
やりたい仕事に就けて、居候という立場でなくなったらイリスは言いたいことがある。
アンリが好きだから、ここにいたいのだと。縛り付けられているのではなく自分の意思でアンリといたいのだと。
・・
夕方、アンリとイリスは二人で城下町を歩いていた。
図書館から帰るイリスはちょうど帰宅途中のアンリと遭遇し、一緒に買い出しをして帰るところだった。
店が立ち並ぶ通りは見ているだけで楽しい。学生時代もこうやってアンリと並んで何度も歩いた。そんな日々を思いだして懐かしくなっていると、ウエディングドレスが飾ってある仕立て屋さんがあった。
大きなガラスの先に、清楚な白いドレスがある。細かい花の刺繍が美しい。
「きれいだね」
イリスは気づかないうちにドレスをじっと見てしまっていたらしい。アンリが話しかけてきた。
「本当に。ウエディングドレスには憧れちゃうわ」
「まさか結婚式でもドレスを着せてもらえなかったの?」
「ううん、結婚式を挙げていないのよ」
ベルトラン家にひどい格好で挙式をさせられたと思ったのだろうか、アンリの言葉が鋭くなるので心配させないようにイリスは笑顔を作った。
「私の夫だった人は重い病気だったの」
「えっ」
「だから、私は夫と喋ったこともないの。ずっと眠っていたから。もちろん結婚式もしていないし、そもそも会わせてもらったこともほとんどないの」
「ご主人が亡くなったから働かされたわけじゃなかったのか……」
「最初から採掘場の道具として売られただけよ。
あっでももう本当に今は気にしてないの。こうやってアンリといれるから本当にもうなにも」
イリスは明るい声でいうが、アンリは難しい顔をして立ち止まってしまった。
「こんなことなら攫いに行けば良かった。君には夫がいると思っていたから」
「それはそうよ。周りの人にも言われたわ、ベルトラン家に嫁げるだなんて男爵令嬢のくせにずるいって。結婚後の生活は漏らさないように徹底されてたし」
「僕は何も知らなかったんだな」
アンリが唇を噛みしめる。イリスはアンリの手を取った。
「そうやってアンリが心を痛めてくれるだけでも今の私は嬉しいよ。今は本当に大丈夫だから」
「うん」
アンリもイリスの手を握り返した。
こうやってアンリが過去を労ってくれるだけでも救われる。たった二年のことだ。これから先の自由はアンリと共にあるのだから。