致し方ないので、上司お持ち帰りしました





 ブオ――。

 低い機械音が心地よく耳に残る。濡れた髪で冷え切った頭に熱を感じる。

 すごく心地よい。頭に温風を感じながら、鼻に良い香りがやってくる。


 あまりに心地よくて夢の世界に連れていかれそうになっていると、ハッと自分の立場を思い出した。


 ぐるっと振り返れば、真白さんがドライヤー片手に優しい手つきで、濡れて放置していた髪を撫でるように髪を乾かしていた。心地よい暖かさは、真白さんが髪の毛を乾かしてくれてたからだなんて。

 

「え、は! 真白さん? 髪の毛、え。乾かしてくれたんですか?」

「濡れたまま寝ちゃったら、風邪ひくでしょ?」
 


 今まで付き合ってきた彼氏にも髪の毛を乾かしてもらったことなどなかった。私はめんどくさがりな性格なので、髪を乾かさずに寝てしまうこともたびたびあった。

 それをわざわざドライヤーで乾かしてくれる人はいなかった。真白さんは何食わぬ顔で、当たり前のように続けるので、恥ずかしさで手を制止させた。


 
「あの、あの。自分でやります」

「別に平気だよ。実家にいたころ、こうやってむぎを乾かしたりしてたから」



 むぎ。初めて聞く名前だった。妹さんかな?
 だったら、少しだけ甘えさせてもらおうかな。


「妹さんの髪の毛乾かしてあげてたんですか?」

「いや、むぎは犬だよ」


 犬!? 私は犬と一緒かいっ!

 心の中で突っ込みを入れた。ドライヤーの温風のあたたかさと、真白さんの手の優しさに、居心地の良さを覚えた。犬と一緒にされてもいいかもしれない。そう思ってしまうほどに。


 ドライヤーを続行してくれるので、なされるがまま乾かしてもらった。


 なんて居心地がいいのだろう。居心地の良さを噛み締めると同時に、危機感を覚えた。
 

 容姿端麗。料理上手。優しい。そんな彼と同居生活。今のところ、恋に落ちる要素しか見当たらない。

 このままでは、沼にはまってしまう。


 なにより、真白さんは探し求めていた童貞だ。
 世間一般的には引かれてしまうかもしれない。その童貞すらも私にとっては一番の魅力になのだ。

 
 私はもう不毛な恋愛はしないと決めた。28歳。

 大人になっても恋愛はちゃんと心が傷つく。騙されたり、失恋をして、もう心に傷をおいたくない。


 それに、同居の条件で。真白さんに恋心を抱くのはルール違反だ。


 真白さんを好きになってはダメ。
 そう言い聞かせて、心に芽生えそうな感情を掻き消すように、頭を左右に振った。


 
 
 
< 43 / 111 >

この作品をシェア

pagetop