敏腕社長は雇われ妻を愛しすぎている~契約結婚なのに心ごと奪われました~
 妻どころか家事代行業者としての働きさえできていない。隼人さんが帰ったらくつろいでもらえるように完璧にこなすはずだった、こなさないとならなかったのに。

 自分を責めながら目を閉じる。水が飲みたいが、それを取りに行く気力もない。今はとにかく眠るのが一番だ。

『本当。なんでこんなときに熱出すのよ! 今日から出張だって言っていたのに』

 苛立った母の声に身を縮める。体温計の数字を見つめ、母は鬼の形相でこちらを睨んできた。

 私が小学校の卒業間近の頃だ。大事な出張を控えた日の朝に発熱してしまい、母には心配よりも先にタイミングが悪いと責めたてられる。

『ごめん、なさい』

 好きで熱を出したわけではないと反抗する気持ちもこの頃の私は抱けなかった。正確には抱くことも許されなかったのだ。

『まったく。いつも余計な負担ばかり増やすんだから』

 申し訳なさに謝るが、母には伝わらない。枕元に市販の風邪薬とミネラルウォーターの入ったペットボトルが乱暴に置かれた。

『それ飲んで寝ていたら治るでしょ。お母さん、仕事で電話には出られないだろうから、連絡はしてこないでよ。どうせ食べられないだろうし、とにかく寝ていなさい』

『はい』

 小さく頷き、母が出て行くのを布団の中で気配だけで察する。ひとりになり天井を見つめながら、こぼれそうになる涙を必死に堪えた。

 母に迷惑をかけてしまった罪悪感。体のだるさと自分の不甲斐なさに苦しくて、視界が滲む。ひとりぼっちの心細さも相まって目尻から涙がこぼれた。
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