愛の充電器がほしい
第48話
鳥のさえずりが聞こえてくる。
今朝は天気が良さそうだ。
紬は颯太と美羽よりも
そして目覚まし時計よりも
先に目が覚めて、
トイレに起きた。
目をこすり、
リビングのテレビのスイッチを
つけた。
パジャマのままソファに座る。
時刻は午前7時。
平日の学校がある日。
両親が起きてこない。
紬は、起こそうとしない。
好きな番組をつけて
見ようとした。
「あーーーー!!」
颯太の叫ぶ声が聞こえた。
「やばいやばい!!
遅刻する。
俺も、紬も。
ちょ、ちょ、ちょっと…。」
慌てて、パジャマのままトイレに走る。
用を足して、戻ってきた。
「ちょっと、紬!
何やってるの?!
今日、学校あるでしょう?」
「うん!」
「いや、ほら、着替えて。
今、朝ごはん準備するから。
あー、何かあったかな。
食パンにするか。
バタートーストでいいか。」
颯太は冷蔵庫をのぞいて
台所を行ったり来たりした。
「着替えてきまーす。」
出かける時間は7時半だと言うのに
かなりのんびりペースの紬だ。
前まではしっかり者で
2人を起こしに来てくれたのに
反抗期なのか起こしに来なくなった。
「あのさ!
紬、今、朝ごはん、準備してるから
ママ起こしてきてよ!」
「えー、やだぁ。
だって、朝は機嫌悪いじゃない。
ママもパパも。」
「えーーーー、なんで。
本当に時間ないんだよ。
ほらほら、パンが焦げそうだ。
いや、もうやり直し!」
焼いたパンが焦げたらしい。
手元が狂って、床に落とす。
2枚のパンがダメになる。
「あーーーー、もう。
ご飯にしよう。」
炊飯器を開けると、
すっからかんだった。
「嘘、マジで?!
ごはん、炊き忘れ?
あー朝ごはん…。」
紬は着替えた姿で乾物類が入った
引き出しをのぞいて取り出した。
「これでいいよ。」
それは味付け海苔だった。
「お腹いっぱいにならないだろう。
それだけでは。」
「時間ないから。
大丈夫、6枚は入ってるから。」
「そう言う問題か?」
紬はポケットから飴玉を見せた。
「ほら、あとこれあるから。」
「お菓子は虫歯になるって。
ちょっと待って焼いてないパンなら
はちみつ塗って…。」
棚に置いていたはちみつを出すと
ボトンと床に落とした。
「あーあ。
だめじゃん。
パパ、もう良いって。
今日は、お腹空いてないし、
友達と待ち合わせしてるから。
行ってきます。」
「ごめん…。」
颯太は、床に落ちたはちみつの瓶を
拾って片付けた。
玄関のドアがバタンと閉まる。
紬は朝ごはんも適当にランドセルを
背負って行った。
「あ、俺も、時間が…
やばい…。
うわ、食べてる場合じゃなかった。」
颯太は、寝室に行き、
クローゼットから
急いで、ワイシャツとスーツを
取り出して、着替えた。
「あれ、おはよう。
え、もう、行く時間?!
うわぁ、ごめん。
スマホの目覚まし、セットするの
忘れてた。
紬ちゃんは?
もう行った?」
「うん。もう行った。
美羽、俺も時間ないから
行くよ。」
颯太は洗面所に走り、
髪を整えた。
パジャマのまま、
お腹の大きい妊娠7ヶ月の美羽は
壁によりかかって
颯太を見る。
「そういやね、昨日の検診で
この子、逆子って言われたの。
頭が胃袋のところにあるから
痛くて…苦しいよ。」
「え、あ、そうなの?
昨日、ごめんね。
一緒に行けなくて
会議入っちゃったから。」
髭剃りの電動シェイバーの音が
響く。
「ううん。大丈夫。
あと、性別はまた確認
できなかったんだ。」
「へぇ、次はわかるかもしれないよね。
美羽、ごめん。
帰ってきたら、ゆっくり聞くから。
会社遅刻するから。」
「あ、ごめんね。
行ってらっしゃい。」
一緒にご飯をゆっくり食べる暇もなく、
紬も颯太も行ってしまった。
妊娠7ヶ月になって、
夜中に何度もトイレに
目を覚ますことが多くなり、
まともに睡眠が取れなくなって
睡眠不足になっていた。
美羽は、
いつもの時間に起きれなくなることが
多くなっていた。
颯太は年度末の繁盛期で残業続きになり、
夜遅くに帰ることが多かった。
紬との親子3人でする会話も
減りつつある。
美羽と紬は学校帰りから夜寝るまで
一緒に過ごすが、
生まれてくる子どもの話ばかりする
美羽にだんだん嫌気を感じるように
なった。
目の前にいる自分の話はどうでも
いいのかと不安になり、父の颯太に
反抗的にとる時があった。
その様子から上の子可愛くない症候群に
少しだけ足を踏み入れていた。
紬は2人からの愛を確かめているの
いるのを気づかない。
素直になれないお年頃だ。
変化球で気持ちを試そうとしている。
颯太との接点が少なくて、
寂しさを覚えた美羽は、
今日こそはと考えた。
妊娠していたって
性欲が全くないわけではない。
もちろん、
男性は万年発情期なわけで
それがなかったら大奥なんて
存在しないし、
風俗なんてないだろう。
きちんと相手してあげないと
お互いに良くないんだろうと
考えていた。
こういう時こそ、
考えなくてはいけないと
美羽は思っていた。
病院の産婦人科で配られる
妊娠したら
こういうことに
気をつけましょうの
資料を
改めて良く見ると
性生活についてのことも
詳しく書いている。
きちんと避妊をして、
優しく激しくないようにするらしい。
もともとその行為自体が
激しいように
思えるがと疑問を浮かべた。
大人になると
そんなことも
考えないといけないのかと
子供の時には考えないことがあると
改めて知る。
性行為は、子供を作るためが、
子供がいても行為をするって
どういうことだろうと
疑問を持つ人もいるだろう。
人間の欲求というのは、
食欲、睡眠欲、性欲が重要視されている。
その欲求が満足しないと
ストレスが溜まる。
欲求不満というものだ。
これも充電切れと言っても
いいのかもしれない。
赤子をみごもってもそれが
満たされるかと言ったら
そうでもない。
愛されているかの確かめることが
会話だったり、仕草だったり、
スマホのメッセージ交換だったりするが、
今の美羽にはどれも
満足に当てはまっていない。
颯太と一緒にいる時間が少ないためだ。
かと言って、紬との会話で
満足はしないだろう。
在宅の仕事もつわりがあった時から
休んでいる。
もっぱら家事をのんびりするくらいだ。
洗濯物をベランダに干していると
何故だか涙が出る。
情緒不安定になっていた。
会話を颯太以外していない。
一層、孤独を感じる。
立派なお家に住んでいても
会話のできない赤子がお腹にいても
お金が目の前にあっても
満たされないものがある。
きっと、出産し終えたら
気持ちは落ち着くだろうと
頭の片隅で考えていたが、
道のりは遠いなと感じる。
人間は何をしても
次から次と悩みが尽きないものだ。
幸せはほんの一瞬。
持続して長く続かない。
買い物に行く気力がなくて
べランダに椅子を
置いて
外を眺めていたら、
あっという間に夕日が
沈みかけている。
玄関のドアが開き、
紬が帰ってきた。
「ただいま。」
「おかえり。
紬ちゃん。
おやつにパンケーキ
用意していたよ。」
「あ、うん。
ありがとう。
あとで食べるね。
さっき友達と駄菓子屋さんで
食べてきちゃったから。」
「そっか。」
美羽は、
紬におやつを用意したというが、
冷凍庫に入っていることを
言っただけで
皿に乗せていたわけじゃなかった。
最近の美羽の様子が
よろしくないのを紬は知っていた。
気を使って優しい嘘を言った。
友達と駄菓子屋なんて行っていない。
冷蔵庫からジュースを
自分で注いで、
部屋の中に行った。
これから宿題をするのだろう。
美羽は、大きなソファでくたんと
横になり、眠りにつく。
お腹が大きくてまともに体を動かせない。
日中眠くなる時間が多くなっている。
その頃の颯太は。
今日も残業が入ったと
ラインで美羽にメッセージを送った。
颯太がいたのは、
会社のデスクではなく
上司の付き合いで
着いてきたキャバクラだった。
「新人のあけみです。
隣、いいですか?」
がやがやと騒がしいお店で
颯太は
ホステスたちに
囲まれて座っていた。
向かい側には
会社経営者の杉崎が
隣の女性にひげを触られて
上機嫌になっていた。
「え、ああ。どうぞ。
今、ハイボール飲んでましたが、
同じものでも良いですか?」
「あ、私。
お酒はだめなんで、
ウーロン茶でお願いします。」
「えー、はっきり
言ってしまうんですね。
珍しい。
新手の作戦ですか。」
「いや、本当だめなんです。」
素直に低いトーンで言うあけみは
怖い顔になった。
「あ、はい。
そうなんですね。
無理しないでください。」
「優しいですね!
名前教えてください。
これ、私の名刺。」
「あ、はい。
楠 颯太です。」
慌てて、カバンから名刺入れを取り出し、
素直に渡す颯太。
「おいおいおい。
楠〜。
そんな簡単に名刺交換したら、
嫁さんに嫉妬されるぞぉ。」
杉崎は、両肩にホステス2人を抱えて
笑いながら言う。
「え、ちょ、ちょっと
社長。
それは言わない約束でしょう!
もう、着いてきませんよー。」
「あー、悪い悪い。
今日だけ、独身な。
颯太は今だけ独身ってことで。」
「えー颯太さんって既婚者なんですか。
残念。あけみ、はじめ見た時から
かっこいいって思ったのにぃ。」
颯太の太ももを触りながら
ジリジリと寄るあけみ。
「いやほら、そういうこと言うから。
社長〜!」
「俺は、知らないぞぉー。」
しらをきるようにトイレに行ってしまう
杉崎。
颯太は手を伸ばすが、
意味がなかった。
「まぁまぁ、飲みましょう。
私、入れますから。
ハイボールお好きですか?」
「え、あ、ああ、はい。」
イライラが増して、ポケットから
タバコを出す。
言う前にライターを差し出すあけみ。
「あ、ごめんなさい。
ありがとうございます。」
「いいえ。お安いご用です。」
「……。」
「颯太さんって初めてではないですよね。」
「まぁ、そうですけど。」
「そう言いながら、
社長に結婚してること
秘密にしたかったんですか?」
「は、はい。まぁ。
今更ですけどね。
指輪もしてるし、
どうせバレるんですけど。」
「奥さんにはバレたくないって
ことですか?」
静かに頷く。
「ここに来る人って
あまり独身はいないですから。
ゼロってわけじゃないですけど、
大抵は結婚している方です。
確かに、
奥さんには秘密にしたいって人は
多いですね。」
「そうでしょうね。」
タバコの煙を天井に吹いた。
「楽しんで飲んでいただければ
私たちは本望です。
さらに注文してもらったら
もっと嬉しいですけどね。」
あけみは、グラスにトクトクと
大きな氷に
ウィスキーと炭酸水をいれて
マドラーでかき混ぜた。
コースターの上に乗せる。
「あけみの特製ハイボールです。」
胸元にハートマークを作って
差し出した。
「ありがとうございます。」
「最近、奥さんと
仲良ししてないんですか?」
ブーっと飲んだお酒を吹いた。
おしぼりでテーブルを拭く。
「もう、颯太さん。
動揺しすぎですよ。」
あけみは一緒になって
テーブルを拭く。
「いや、直球で聞くなぁと思って、
びっくりした。」
「こういうところに来る旦那様は
奥さんに構われてないのかなって
あけみは思うんですよ。
個人的な意見ですけどね。」
「え、あけみさんは、
新人じゃなかったでしたっけ。」
「そう、いつでも新人。
心はね。」
「え、は?
もしかしてベテラン?
何歳ですか?」
「ちょっと、
レディに年齢聞くのは御法度よ。
若いって褒めるなら別だけど。」
「ベテランの割には若い!」
「もう、遅い。
…颯太さんって面白い。」
「そ、それ。
嫁にも言われました。」
「え、そうなの?
受けるぅ。
私と奥さん同じなのかな。
似てるってこと?」
こくんと頷いた。
「んで、さっき聞いたけど、
奥さんとご無沙汰って話
どうなんですか?」
耳打ちして、
息を吹きかけた。
ゾワっと寒気がした。
「え、いや、その。
今、嫁が妊娠してるから。
ちょっと赤ちゃんに
何かあってからでは遅いから
控えていたっていうか。」
「え? うそ。
相手してあげてないの?
本当に?
奥さんかわいそう。」
「え、だって、
お腹にいるし。
かわいそうでしょう、赤ちゃんが。」
「颯太さん、
奥さんと病院で説明会に
参加しなかったの?」
「ん?説明会?
確かにあったとは言ってたけど、
仕事が入ってなかなか診察にも
一緒に行けてないって…
って、あけみさん詳しくない?」
「伊達にベテラン名乗ってないわよ。
いや、嘘ついて新人って言ってるけど。
子育て経験はあるわよ。
妊娠中でも女性は性欲あるんだって。」
「え、は?そうなんですか?」
「これだから知識を入れない男は…。
待ってると思うよ、奥さん。
ちゃんと今はネットでも
調べられるんだから!」
あけみはスマホを出して、
検索画面に妊娠中の性行為と
入力したら、細かく表示された。
ふむふむと画面を注視した。
「あ、でも、
嫌がる奥さんもいるから
同意の上でするんだよ。
夫婦でも嫌がる性行為は
DVにあたって犯罪になるから。
気をつけないとね。」
「勉強になります。
あー、今日、来てよかった。
いつもここ来てるけど、
あけみさんに会ってなかったから。」
「あー私?
穴埋めでしばらく他店舗に
行ってただけ。
ここがホームポジションだから。
いつでも来てね。」
「そうだったんですね。
アドバイスありがとうございます。」
「もし、奥さんに相手してくれなかったら、
私相手してもいいよ?」
「いや、ちょっとそれは。」
「アフターオールオッケーだから。」
「マジで勘弁してください。」
「釣れないなあ。」
「あけみさんだって
既婚者ですよね。」
「あ、え…
バレた?」
「はい。」
「え、何で?
指輪もしてないし。」
「当てずっぽです。」
「ガクー。なんだ、適当に言ったのね。」
「さっき子育て経験者って。」
「ああ、確かにそうね。
でも、シングルマザーかも
しれないでしょう。
あそこにいるすみれちゃんはそうよ。」
「いやいや、シングルの人が堂々と
アドバイスしないでしょう。
むしろ誘ってきて
終わりじゃないですか。」
「……なるほどね。
新しい旦那さん探してるかも
しれないもんね。
意外と頭いいじゃない、颯太さん。」
肩をバシッと叩かれた。
その瞬間に颯太はバックを
抱えて立ち上がった。
「え、もう帰るの?」
「あけみさんのアドバイス通りに
嫁さん大事にしようかなって。」
「あー、余計なこと言っちゃったな。
売り上げが…。」
「また飲みに来ますから。
杉崎社長、向こうで
シャンパンタワーしてるので、
伝えてくださいね。
お先に失礼します。」
颯太はいつもよりかなり早めに
きりあげて、立ち去っていく。
夫婦生活も陰りが見えていたが、
あけみのアドバイスで
前向きに考えられた。
颯太の足取りは軽かった。
コンビニで美羽の
好きなモンブランスイーツを
買って、家路を急いだ。
月が三日月になって細く光っていた。
今朝は天気が良さそうだ。
紬は颯太と美羽よりも
そして目覚まし時計よりも
先に目が覚めて、
トイレに起きた。
目をこすり、
リビングのテレビのスイッチを
つけた。
パジャマのままソファに座る。
時刻は午前7時。
平日の学校がある日。
両親が起きてこない。
紬は、起こそうとしない。
好きな番組をつけて
見ようとした。
「あーーーー!!」
颯太の叫ぶ声が聞こえた。
「やばいやばい!!
遅刻する。
俺も、紬も。
ちょ、ちょ、ちょっと…。」
慌てて、パジャマのままトイレに走る。
用を足して、戻ってきた。
「ちょっと、紬!
何やってるの?!
今日、学校あるでしょう?」
「うん!」
「いや、ほら、着替えて。
今、朝ごはん準備するから。
あー、何かあったかな。
食パンにするか。
バタートーストでいいか。」
颯太は冷蔵庫をのぞいて
台所を行ったり来たりした。
「着替えてきまーす。」
出かける時間は7時半だと言うのに
かなりのんびりペースの紬だ。
前まではしっかり者で
2人を起こしに来てくれたのに
反抗期なのか起こしに来なくなった。
「あのさ!
紬、今、朝ごはん、準備してるから
ママ起こしてきてよ!」
「えー、やだぁ。
だって、朝は機嫌悪いじゃない。
ママもパパも。」
「えーーーー、なんで。
本当に時間ないんだよ。
ほらほら、パンが焦げそうだ。
いや、もうやり直し!」
焼いたパンが焦げたらしい。
手元が狂って、床に落とす。
2枚のパンがダメになる。
「あーーーー、もう。
ご飯にしよう。」
炊飯器を開けると、
すっからかんだった。
「嘘、マジで?!
ごはん、炊き忘れ?
あー朝ごはん…。」
紬は着替えた姿で乾物類が入った
引き出しをのぞいて取り出した。
「これでいいよ。」
それは味付け海苔だった。
「お腹いっぱいにならないだろう。
それだけでは。」
「時間ないから。
大丈夫、6枚は入ってるから。」
「そう言う問題か?」
紬はポケットから飴玉を見せた。
「ほら、あとこれあるから。」
「お菓子は虫歯になるって。
ちょっと待って焼いてないパンなら
はちみつ塗って…。」
棚に置いていたはちみつを出すと
ボトンと床に落とした。
「あーあ。
だめじゃん。
パパ、もう良いって。
今日は、お腹空いてないし、
友達と待ち合わせしてるから。
行ってきます。」
「ごめん…。」
颯太は、床に落ちたはちみつの瓶を
拾って片付けた。
玄関のドアがバタンと閉まる。
紬は朝ごはんも適当にランドセルを
背負って行った。
「あ、俺も、時間が…
やばい…。
うわ、食べてる場合じゃなかった。」
颯太は、寝室に行き、
クローゼットから
急いで、ワイシャツとスーツを
取り出して、着替えた。
「あれ、おはよう。
え、もう、行く時間?!
うわぁ、ごめん。
スマホの目覚まし、セットするの
忘れてた。
紬ちゃんは?
もう行った?」
「うん。もう行った。
美羽、俺も時間ないから
行くよ。」
颯太は洗面所に走り、
髪を整えた。
パジャマのまま、
お腹の大きい妊娠7ヶ月の美羽は
壁によりかかって
颯太を見る。
「そういやね、昨日の検診で
この子、逆子って言われたの。
頭が胃袋のところにあるから
痛くて…苦しいよ。」
「え、あ、そうなの?
昨日、ごめんね。
一緒に行けなくて
会議入っちゃったから。」
髭剃りの電動シェイバーの音が
響く。
「ううん。大丈夫。
あと、性別はまた確認
できなかったんだ。」
「へぇ、次はわかるかもしれないよね。
美羽、ごめん。
帰ってきたら、ゆっくり聞くから。
会社遅刻するから。」
「あ、ごめんね。
行ってらっしゃい。」
一緒にご飯をゆっくり食べる暇もなく、
紬も颯太も行ってしまった。
妊娠7ヶ月になって、
夜中に何度もトイレに
目を覚ますことが多くなり、
まともに睡眠が取れなくなって
睡眠不足になっていた。
美羽は、
いつもの時間に起きれなくなることが
多くなっていた。
颯太は年度末の繁盛期で残業続きになり、
夜遅くに帰ることが多かった。
紬との親子3人でする会話も
減りつつある。
美羽と紬は学校帰りから夜寝るまで
一緒に過ごすが、
生まれてくる子どもの話ばかりする
美羽にだんだん嫌気を感じるように
なった。
目の前にいる自分の話はどうでも
いいのかと不安になり、父の颯太に
反抗的にとる時があった。
その様子から上の子可愛くない症候群に
少しだけ足を踏み入れていた。
紬は2人からの愛を確かめているの
いるのを気づかない。
素直になれないお年頃だ。
変化球で気持ちを試そうとしている。
颯太との接点が少なくて、
寂しさを覚えた美羽は、
今日こそはと考えた。
妊娠していたって
性欲が全くないわけではない。
もちろん、
男性は万年発情期なわけで
それがなかったら大奥なんて
存在しないし、
風俗なんてないだろう。
きちんと相手してあげないと
お互いに良くないんだろうと
考えていた。
こういう時こそ、
考えなくてはいけないと
美羽は思っていた。
病院の産婦人科で配られる
妊娠したら
こういうことに
気をつけましょうの
資料を
改めて良く見ると
性生活についてのことも
詳しく書いている。
きちんと避妊をして、
優しく激しくないようにするらしい。
もともとその行為自体が
激しいように
思えるがと疑問を浮かべた。
大人になると
そんなことも
考えないといけないのかと
子供の時には考えないことがあると
改めて知る。
性行為は、子供を作るためが、
子供がいても行為をするって
どういうことだろうと
疑問を持つ人もいるだろう。
人間の欲求というのは、
食欲、睡眠欲、性欲が重要視されている。
その欲求が満足しないと
ストレスが溜まる。
欲求不満というものだ。
これも充電切れと言っても
いいのかもしれない。
赤子をみごもってもそれが
満たされるかと言ったら
そうでもない。
愛されているかの確かめることが
会話だったり、仕草だったり、
スマホのメッセージ交換だったりするが、
今の美羽にはどれも
満足に当てはまっていない。
颯太と一緒にいる時間が少ないためだ。
かと言って、紬との会話で
満足はしないだろう。
在宅の仕事もつわりがあった時から
休んでいる。
もっぱら家事をのんびりするくらいだ。
洗濯物をベランダに干していると
何故だか涙が出る。
情緒不安定になっていた。
会話を颯太以外していない。
一層、孤独を感じる。
立派なお家に住んでいても
会話のできない赤子がお腹にいても
お金が目の前にあっても
満たされないものがある。
きっと、出産し終えたら
気持ちは落ち着くだろうと
頭の片隅で考えていたが、
道のりは遠いなと感じる。
人間は何をしても
次から次と悩みが尽きないものだ。
幸せはほんの一瞬。
持続して長く続かない。
買い物に行く気力がなくて
べランダに椅子を
置いて
外を眺めていたら、
あっという間に夕日が
沈みかけている。
玄関のドアが開き、
紬が帰ってきた。
「ただいま。」
「おかえり。
紬ちゃん。
おやつにパンケーキ
用意していたよ。」
「あ、うん。
ありがとう。
あとで食べるね。
さっき友達と駄菓子屋さんで
食べてきちゃったから。」
「そっか。」
美羽は、
紬におやつを用意したというが、
冷凍庫に入っていることを
言っただけで
皿に乗せていたわけじゃなかった。
最近の美羽の様子が
よろしくないのを紬は知っていた。
気を使って優しい嘘を言った。
友達と駄菓子屋なんて行っていない。
冷蔵庫からジュースを
自分で注いで、
部屋の中に行った。
これから宿題をするのだろう。
美羽は、大きなソファでくたんと
横になり、眠りにつく。
お腹が大きくてまともに体を動かせない。
日中眠くなる時間が多くなっている。
その頃の颯太は。
今日も残業が入ったと
ラインで美羽にメッセージを送った。
颯太がいたのは、
会社のデスクではなく
上司の付き合いで
着いてきたキャバクラだった。
「新人のあけみです。
隣、いいですか?」
がやがやと騒がしいお店で
颯太は
ホステスたちに
囲まれて座っていた。
向かい側には
会社経営者の杉崎が
隣の女性にひげを触られて
上機嫌になっていた。
「え、ああ。どうぞ。
今、ハイボール飲んでましたが、
同じものでも良いですか?」
「あ、私。
お酒はだめなんで、
ウーロン茶でお願いします。」
「えー、はっきり
言ってしまうんですね。
珍しい。
新手の作戦ですか。」
「いや、本当だめなんです。」
素直に低いトーンで言うあけみは
怖い顔になった。
「あ、はい。
そうなんですね。
無理しないでください。」
「優しいですね!
名前教えてください。
これ、私の名刺。」
「あ、はい。
楠 颯太です。」
慌てて、カバンから名刺入れを取り出し、
素直に渡す颯太。
「おいおいおい。
楠〜。
そんな簡単に名刺交換したら、
嫁さんに嫉妬されるぞぉ。」
杉崎は、両肩にホステス2人を抱えて
笑いながら言う。
「え、ちょ、ちょっと
社長。
それは言わない約束でしょう!
もう、着いてきませんよー。」
「あー、悪い悪い。
今日だけ、独身な。
颯太は今だけ独身ってことで。」
「えー颯太さんって既婚者なんですか。
残念。あけみ、はじめ見た時から
かっこいいって思ったのにぃ。」
颯太の太ももを触りながら
ジリジリと寄るあけみ。
「いやほら、そういうこと言うから。
社長〜!」
「俺は、知らないぞぉー。」
しらをきるようにトイレに行ってしまう
杉崎。
颯太は手を伸ばすが、
意味がなかった。
「まぁまぁ、飲みましょう。
私、入れますから。
ハイボールお好きですか?」
「え、あ、ああ、はい。」
イライラが増して、ポケットから
タバコを出す。
言う前にライターを差し出すあけみ。
「あ、ごめんなさい。
ありがとうございます。」
「いいえ。お安いご用です。」
「……。」
「颯太さんって初めてではないですよね。」
「まぁ、そうですけど。」
「そう言いながら、
社長に結婚してること
秘密にしたかったんですか?」
「は、はい。まぁ。
今更ですけどね。
指輪もしてるし、
どうせバレるんですけど。」
「奥さんにはバレたくないって
ことですか?」
静かに頷く。
「ここに来る人って
あまり独身はいないですから。
ゼロってわけじゃないですけど、
大抵は結婚している方です。
確かに、
奥さんには秘密にしたいって人は
多いですね。」
「そうでしょうね。」
タバコの煙を天井に吹いた。
「楽しんで飲んでいただければ
私たちは本望です。
さらに注文してもらったら
もっと嬉しいですけどね。」
あけみは、グラスにトクトクと
大きな氷に
ウィスキーと炭酸水をいれて
マドラーでかき混ぜた。
コースターの上に乗せる。
「あけみの特製ハイボールです。」
胸元にハートマークを作って
差し出した。
「ありがとうございます。」
「最近、奥さんと
仲良ししてないんですか?」
ブーっと飲んだお酒を吹いた。
おしぼりでテーブルを拭く。
「もう、颯太さん。
動揺しすぎですよ。」
あけみは一緒になって
テーブルを拭く。
「いや、直球で聞くなぁと思って、
びっくりした。」
「こういうところに来る旦那様は
奥さんに構われてないのかなって
あけみは思うんですよ。
個人的な意見ですけどね。」
「え、あけみさんは、
新人じゃなかったでしたっけ。」
「そう、いつでも新人。
心はね。」
「え、は?
もしかしてベテラン?
何歳ですか?」
「ちょっと、
レディに年齢聞くのは御法度よ。
若いって褒めるなら別だけど。」
「ベテランの割には若い!」
「もう、遅い。
…颯太さんって面白い。」
「そ、それ。
嫁にも言われました。」
「え、そうなの?
受けるぅ。
私と奥さん同じなのかな。
似てるってこと?」
こくんと頷いた。
「んで、さっき聞いたけど、
奥さんとご無沙汰って話
どうなんですか?」
耳打ちして、
息を吹きかけた。
ゾワっと寒気がした。
「え、いや、その。
今、嫁が妊娠してるから。
ちょっと赤ちゃんに
何かあってからでは遅いから
控えていたっていうか。」
「え? うそ。
相手してあげてないの?
本当に?
奥さんかわいそう。」
「え、だって、
お腹にいるし。
かわいそうでしょう、赤ちゃんが。」
「颯太さん、
奥さんと病院で説明会に
参加しなかったの?」
「ん?説明会?
確かにあったとは言ってたけど、
仕事が入ってなかなか診察にも
一緒に行けてないって…
って、あけみさん詳しくない?」
「伊達にベテラン名乗ってないわよ。
いや、嘘ついて新人って言ってるけど。
子育て経験はあるわよ。
妊娠中でも女性は性欲あるんだって。」
「え、は?そうなんですか?」
「これだから知識を入れない男は…。
待ってると思うよ、奥さん。
ちゃんと今はネットでも
調べられるんだから!」
あけみはスマホを出して、
検索画面に妊娠中の性行為と
入力したら、細かく表示された。
ふむふむと画面を注視した。
「あ、でも、
嫌がる奥さんもいるから
同意の上でするんだよ。
夫婦でも嫌がる性行為は
DVにあたって犯罪になるから。
気をつけないとね。」
「勉強になります。
あー、今日、来てよかった。
いつもここ来てるけど、
あけみさんに会ってなかったから。」
「あー私?
穴埋めでしばらく他店舗に
行ってただけ。
ここがホームポジションだから。
いつでも来てね。」
「そうだったんですね。
アドバイスありがとうございます。」
「もし、奥さんに相手してくれなかったら、
私相手してもいいよ?」
「いや、ちょっとそれは。」
「アフターオールオッケーだから。」
「マジで勘弁してください。」
「釣れないなあ。」
「あけみさんだって
既婚者ですよね。」
「あ、え…
バレた?」
「はい。」
「え、何で?
指輪もしてないし。」
「当てずっぽです。」
「ガクー。なんだ、適当に言ったのね。」
「さっき子育て経験者って。」
「ああ、確かにそうね。
でも、シングルマザーかも
しれないでしょう。
あそこにいるすみれちゃんはそうよ。」
「いやいや、シングルの人が堂々と
アドバイスしないでしょう。
むしろ誘ってきて
終わりじゃないですか。」
「……なるほどね。
新しい旦那さん探してるかも
しれないもんね。
意外と頭いいじゃない、颯太さん。」
肩をバシッと叩かれた。
その瞬間に颯太はバックを
抱えて立ち上がった。
「え、もう帰るの?」
「あけみさんのアドバイス通りに
嫁さん大事にしようかなって。」
「あー、余計なこと言っちゃったな。
売り上げが…。」
「また飲みに来ますから。
杉崎社長、向こうで
シャンパンタワーしてるので、
伝えてくださいね。
お先に失礼します。」
颯太はいつもよりかなり早めに
きりあげて、立ち去っていく。
夫婦生活も陰りが見えていたが、
あけみのアドバイスで
前向きに考えられた。
颯太の足取りは軽かった。
コンビニで美羽の
好きなモンブランスイーツを
買って、家路を急いだ。
月が三日月になって細く光っていた。