愛の充電器がほしい

第54話


ビルとビルの間にカラスが飛び交った。

交差点ではクラクションが鳴る。

少し離れたところから救急車のサイレンが
響いている。

歩行者信号機が青になった。

点字ブロックの上で青になるのを
待っていた。

ハイヒールが地面に打ちつける。

A4ファイルが入るバックを肩にかけて
持ち直した。

今日は、
就活で初めて受かった会社の
出勤日。

何度も何度も繰り返し面接を受けてきて、
やっと受かった。

お祈りメールや
わざわざ電話で
断るのを聞いた。


胃がもたれるくらいのストレスだ。


採用しますという一言を聞いただけで
生きた心地がした。


人間として
存在していいんだと
光が見えた気がした。


商業大きなビルの23階。

受付で社員証を渡されて、
エレベーターに乗る。

乗ろうとした瞬間に
後ろから誰かが慌てて入ってくる。

急いで、開くボタンを押した。

「あ、すいません。
 ありがとうございます。」

 息を荒くさせて、
 パタパタと持っていた書類を
 うちわがわりにあおいだ。
 ギリギリセーフで間に合ったと
 いうところ。

「いえ……。」

 23階のボタンをすでに押していると、

「あれ、もう、ボタン押してる。
 あー、君も23階?」

「はい。」

「見ない顔だよね…。
 名前もまだ名札配られてないか。」

「……えっと、23階は
 ファーストトレード株式会社で
 合ってますか。」

「ああ、そうだけど。
 もしかして、新人?」

 ピロンと音が鳴った。
 エレベーターが23階に着いた。
 
 名前を言おうとすると
 一緒にエレベーターに
 乗っていた男性は、
 ささっとデスクの方へ
 急いで駆け出して行った。


 「あ……。」

 1人ポツンと残った。
 
 オフィスフロアに着いて、
 ぐるぐると辺りを見渡した。
 
 面接した会場とは別の場所だったため
 新鮮だった。
 
 電話のコールがあちこちで
 鳴り続ける。

 少し奥に
 パーテーションで区切られている
 たくさんのデスクがあった。

 受付らしいところには
 看板が大きくあった。

 (ここが私の働く場所…。)

 くるくるカールの化粧を厚めにした
 受付の女性がこちらをチラッと見た。

「あー、もしかして、
 新人さんかな?」


「あ、はい。
 今日からこちらで働くことに
 なりました。
 楠 紬と言います。
 よ、よろしくお願いします。」

 イントネーションと声の大きさが
 緊張のあまり不安定だった。

「ふふふ…。
 可愛い。
 お話は聞いてました。
 こちらにどうぞ。」

 受付近くの応接室に
 案内された。

「今、担当の者が来ますから、
 待っててくださいね。
 私は、受付担当の
 坂本 祐子(さかもとゆうこ)です。
 よろしくね。」

 手早く湯呑みに入った緑茶が
 テーブルに置かれた。
 ぺこりとお辞儀した。
 緊張して挨拶さえも忘れていた。

「はいはいはい。
 えっと…なんだっけ。」

 履歴書が挟まったクリアファイルを
 デスクの棚から取り出した。

「佐々木部長?」

「え、あ、坂本さん、
 どうかした?」

「いらっしゃいましたよ。
 新人さん。」

「だよね、時間通りじゃん。
 って、さっき初めての人
 会った気がするけど
 てかさ、俺、これから会議もあるからさ。
 もう、ミッション多すぎ。
 ちくしょー。
 んで、どこに?」

「部長、落ち着いて。
 お茶、置いてましたから。」

「ああ、ごめん。
 ありがとう。
 今行くわ。」

 部長の佐々木は、
 デスクに外した社員証を付け直して、
 紬のいる応接室に向かう。

「お待たせしました.
 総務部 部長の佐々木 拓海で…す。
 あ、あれ。」

 拓海は、手元にある履歴書と
 本人の顔をマジマジと照らし合わせた。
 
「は、はじめまして。
 楠 紬です。
 よろしくお願いします!!」

 緊張のあまり、
 顔を見ずにお辞儀をした。

 拓海は、一瞬何も言えなくなった。
 応接室の席にゆっくり座る。

「はじめてじゃないけどな。」

 受付の坂本が淹れたお茶を飲んだ。

「…え。」

「さっき、エレベーターで
 会ったでしょう。」

「へ、あ、すいません。
 気づきませんでした。」

「だよね、顔見てなかったもんね。」

「問題ありましたか?」

「そうだなぁ、明日から来なくていいよ?」

「え?!」

「嘘だよ。
 本気にすんなよ。」

 急にフランクに話す。

「さてと…。
 楠 紬さんね。
 今日は初日だから、
 とりあえず、
 会社の中案内するわ。
 着いてきて。」

「はい。」

 立ち上がり、デスクフロアの通路を歩く。
 パーテーションで区切られた
 パソコンの前に案内された。

「ここ、楠さんのデスク。
 私物の置きすぎに注意ね。
 紛失事件が勃発するから。
 な?田村。」

 隣にかなりの可愛いグッズを揃えている
 女性社員の田村は、
 ぎくっとびっくりさせていた。

「えー、そんなことないですよ。
 パンダちゃんがいなくなったことくらい
 根に持たないてください。」

「あれ、探すの大変だったんだぞ!
 って、ガチャガチャのフィギュアを
 飾りすぎて、無くすってことが起きて、
 社員一同になって探したって…。
 結局は田村のポケットに
 あったっていう話だ。
 楠さんも気をつけて。」

 可愛い話を聞いてちょっと
 おかしくなった。

「そんな面白いか?
 まぁ、いいや。
 次行くよ。」

 拓海は、長い通路をどんどん進む。

「楠さんのお父さんって
 プログラマーの仕事してるんでしょう。」

「はい、そうですけど。」

「お母さんは、元広告代理店で働いてた人?」

「……はい。どうして、
 そんなに詳しいんですか?」

「いや、まぁ。
 俺のポジションになると
 いろいろ情報を得られるっていうか。」

「え、そうなんですか?」

「嘘だよ。」

「……はぁ、嘘ですか。」

 拓海は、腕時計を見て、
 時間を確認する。

「ごめん、楠さん。
 俺、すぐ会議に参加しなきゃないんだ。
 受付のさっきのおねえさんいるっしょ。」


「坂本さんですか?」


「坂本さんに声かけて
 仕事もらってくれない?
 ごめんね。」

 仕事がたくさんある人なんだろうなと
 思った紬は、ため息をついた。

 頬をポリポリとかいて、
 受付の坂本のところに行く。

「すいません、佐々木部長から
 言われまして、
 仕事もらってくださいって
 ことなんですが。」

「えーーー、部長。
 私に許可なしに言ってくるの?
 もう…。」

 坂本は感情むき出しに不機嫌になる。

「仕方ないなぁ。
 ほら、おいで。
 新人さん。」

「はい。」

 紬は、坂本の後ろに着いて歩く。
 給湯室に向かった。

「あのさ、新人さん。
 最初から何もできないって
 わかってけどさ。
 今日から出勤なんだから
 ぼんやり立ってるのはやめてね。
 社会人だから。
 学生じゃないよ。」

「は、はい。
 ご指導ありがとうございます。」

「……うん、別に指導してないけど、
 当たり前のこと言ってるだけ。」

「はい。」


「あと、その体育会系みたいな返事も
 やめてくれない。
 それ、好きじゃないかな、私。」

「すみません。」

「はい、これ、コーヒーの詰め替えを
 この瓶に入れる作業してね。」

「えーと、承知しました。」

 紬は、はいというなと言われたため、
 なんと言えばわからなくなる。

「は?承知しましたって、
 どういうこと?」

「い、いえ…。
 あの、わかりましたってことです。」

「そんなの知ってるわよ。
 いいから、いれてくれる?」

「………。」

 喋るのも嫌になった紬は、
 黙ってインスタントコーヒーを
 瓶に詰め替える
 作業をした。


「あと、これ。」

 三角コーナーにある生ゴミの
 網を指差す。
 紅茶のティーパックや
 緑茶の茶殻が入っていた。

「これは、ビニール袋にいれて捨ててね。
 あと、これとこれ。」

 生ごみの他に
 食器かごに入ったマグカップや
 湯呑みを指差す。

「これは?」

「は?乾いてるんだから、
 食器棚に置くに決まってるでしょう。」

「あ、はい。」

 棚に急いで置く。
 何だか、陰湿な雰囲気が漂った。
 喉がごくりと言った。

 どれくらいの時間を坂本と
 過ごしただろう。
 紬は、声を発することが怖くなった。

 そこに拓海が戻ってくる。

「お?仕事やってるね。」

「ちょ、部長。
 全部、仕事私に振りすぎですよ!
 
「ごめんごめん。
 ありがとうな。
 楠さん、あと、それ終わったら
 帰っていいよ。
 初日だからね。」

「……。」

 静かに頷いた。
 何かあったのだろうかと
 疑問符を浮かべる。


 坂本は面倒くさそうに
 舌打ちを打ちながら、
 自分の持ち場に戻っていく。

 紬は給湯室に1人取り残された。

 その様子を見て、
 拓海は何かまずいことしたかなと
 紬の横に立つ。
 
「楠さん、大丈夫?」

 資料を片手に
 紬の顔をのぞく。

 目がうるうるとなっている。

「……だ、大丈夫です。」

「何かされた?」

「いえ、玉ねぎを切っただけです。」

「いや、ここ、料理するとこじゃないから。」

「……大丈夫じゃないです…。」

 紬は、我慢していた涙を流した。
 初日にまさかこんなに
 ズバズバと言われるとは
 思っていなかった。
 その通りにしても
 何をしても文句を言われた。
 やっかみだった。

 拓海は、紬の大丈夫から大丈夫じゃないの言葉に申し訳ないことしたと反省した。
 
 拓海は、自分自身の胸に
 紬の顔を引き寄せて、
 涙を隠した。

「よしよし…。俺が悪かった。
 泣きたいときは泣くんだ。
 今のうちに。」

 涙を我慢していた紬は、
 そう言われて余計に涙が出た。
 嬉し涙と悔し涙が同時に出たのだ。



 それが、
 大人になってからの
 佐々木拓海と楠 紬の再会だった。

 
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