振り返って、接吻
華奢なくせに艶のあるふとももに、ほんの少しでもくらりと目眩がしたなんて知られたら。俺は迷わずベランダから飛び降りる。
そんな心配は無用で、資料に興奮している馬鹿な宇田は、すごく嬉しそうに話し出した。
「もう、さすがだよねほんとマイハニー」
「エビチリ吐くよ」
「プレゼンの内容のメモじゃなくて、プレゼンした個人のレベルや質を記録してくれるんだもん」
それには答えず、水を飲みにキッチンのほうに向かう。
茅根の言う通り、社長であるため無関係とは言えないが、この段階では宇田が直接かかわりを持たない今回の企画。それについての記録を頼まれた。
俺は、それぞれのプレゼン内容よりも、プレゼンをしたグループがどんな内容だったか、どう伝わったか、資料の質はどうかなど、それぞれの人間性に視点を向けて記録したのだ。
「わたしのことをこんなに理解してくれるの、由鶴しかいないよ」
「理解したくないけど」
「わたし、由鶴と仕事できて良かったー」
頼りにされたいというのは、男の性だ。ましてや上司なのだから、当然かもしれない。
宇田のさりげないひとことで、俺はまた深く安心するのだ。良かった、まだ今日も、俺は彼女に捨てられないみたい。
宇田のことなんか、理解できない。理解したふりを続けて、いつまでも危うい距離感を保ちながらそばにいる。これは、寿命を1日ずつ延ばしているような感覚で、いつ断ち切れてもおかしくないのに、当たり前のような日々を何年も繰り返してきた。
「オマエも風呂入りなよ汚いんだから」
会話の流れを下手くそに変えた俺に、すべてをわかったうえで包み込むかのような笑みを見せた宇田。常に上手にいる彼女が、いつだって気に食わない。
宇田はご自慢の長い黒髪を揺らして、軽やかにソファから降りる。子どもの頃にバレエを習っていたせいか、しなやかな動きが猫みたいだ。
ストッキングとヒールを纏っていない今、頼りないほど細いその脚で、ぺたぺたと歩きながら「お風呂借りまーす、タオルと着替え用意しておいてねー」って。ふざけるな、俺はオマエの執事でも秘書でもない。
そう悪態つきつつも、どうせ用意してあげる俺を見透かしてるのだろう。俺って笑えないぐらい良い部下だと思うんだけど、どうかな。
ていうか、ある意味いまこの時間も仕事中みたいなものだよね。残業手当くれなきゃ困る。