振り返って、接吻


いつものことだけど、宇田のお風呂は死んでるんじゃないかと思うほど長い。他人の家でよくもここまでくつろげるな、ともはや感心する。


浴室がばたばたとうるさいから、溺死しかけてるのかもしれない。たまにご機嫌な歌声が聞こえて、地味に腹が立つ。けっきょく、けろりと生きてお風呂から上がってくるし、当たり前だけど、宇田は今日も生きている。




彼女が洗い物を済ませておいてくれたおかげで、キッチンは綺麗に片付いていた。特にやることもないし、先に寝てしまおう。



軽く神経質な俺は眠りが病的に浅いのだが、何故か、宇田の気配があると熟睡できる。認めたくないけど。


あいつもあいつで、それを知っているから泊まりに来るのだ。すぐそばに自宅があるくせに、わざわざ好きでもない男の家に泊まるのって、それなりの理由がある。

まあ、俺や宇田の場合、長い間、恋愛という単語から遠ざかりすぎて、男女の概念が欠落しているせいもあるけど。

この会社が軌道にのるまで、有名になるまで、と思ってやってきたけど、いつの間にかその目標には到達していた。がむしゃらに駆けてきて、気付いたらここまできていた、という感覚だ。

それでもまだ、ゴールには届かなくて。若者向けコスメとして、斬新な切り口から現代的な化粧品を売り出している。老舗の高級ブランドなんかにはまだまだ及ばないけれど、成果は出ていると思っている。


あした、販売店舗のほうに行ってみよう。社長が行きたがると迷惑極まりないから、こっそり行ける時間を探さないといけないな。



相変わらず脳みその大半が仕事のことで占められている。ほぼ無意識の領域で、宇田のお風呂上がりセット一式を用意した。下着とパジャマは、こないだ宇田が勝手に自分でネットで購入して、この家に宅配したものだ。着払いだったら出禁にするところだった。


どうせ、きっと。湯船に浸かっている彼女も、同じく仕事のことばかり考えているのだろう。


ようやく寝室に向かうと、ふわっと眠気が襲ってきた。今日が終わるな、今日もよく働いた。最悪な朝だったけど、まあそこまで悪くない1日だった。

深い濃紺の布団が敷かれた、不必要に大きなベッド。いつまでひとりで使い続けるのだろう。ちなみに、宇田がこのベッドに入ることを許すつもりはない。そんなの気持ち悪すぎる。


そもそも宇田は、この寝室に入ってきたことがない。入るなと声に出したことはないけど、態度に表れているのかもしれない。



いちおうは副社長で、それなりの給料を貰っている身としては普通かもしれないけど、このマンションもひとり暮らしには豪華すぎるなあと思う。宇田しか来ないし。たまに茅根。やばい、切なくなってきた。


質の良い低反発のベッドに全身を預け、重たくなった瞼を逆らわずにおろす。ドアの外がうるさい、宇田がお風呂からあがったらしい。ドライヤー、使ったら片付けてよね。



俺はそのやさしい騒音を聞きながら、ゆっくりと眠りについた。

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