振り返って、接吻
社員証を首からぶら下げて、ふらつくように朝の社内を歩く。もう、副社長室という自分の部屋には目を瞑っても行けそうだ。
俺はどうしても朝が弱い。睡眠欲求はそこまでないのだけど、朝の行動は苦手だ。基本的に社会人には向いていないのかもしれない。
もうすっかり俺と宇田の婚約フィーバーはほとんど落ち着きを見せている。世間はくるくると目まぐるしく動いていることを常に実感する。
「副社長、おはようございます!」
社員たちの快活な挨拶が鬱陶しいけど、彼らは決して悪くない。むしろ素晴らしい。分かっているけど、自分のおはようはかなり低い声だった。ほんとごめん。
でも、社員のほうも良くできた子たちだから、あんまり気にしていないようだった。経営理念か何かに、相手の朝の挨拶が小さくても気にしないっていう項目あったっけ。
ひとりで出勤した俺は、少なくとも頭が冴えないうちはなるべく社長と社長秘書に出会さないように気を付けてエレベーターに乗り込んだ。余計なところで疲れたくないから。
ぐんぐん上がっていくエレベーターに乗っていると、少しずつ頭が冴えてくる。今日は、特別な日になるだろう。俺ら少しだけ緊張していた。