振り返って、接吻
黙って歩いていると、宇田が俺の腕にするりと自分のそれを絡ませてきた。暑苦しいな、と思ったけど、〝今日は特別〟だから振り払わなかった。
「ねえ、わたしに言うことなーい?」
「髪切った?」
「切ってないですー」
ご機嫌そうに笑う宇田は、「朝のコーヒー飲も!」と俺を社長室に連れ込んだ。
社長室の中には誰もいなかったけどもう快適な温度に調整されていて、この会社の空調って一括管理だったのか、なんて考えた。それと、いつかの生徒会室を思い出させた。
5月も後半になってくると、けっこう暑い。俺はスーツの上着を脱いで、勝手にハンガーにかけた。
もう5月か。春は意外と化粧品の売り上げが良い。みんな新しい季節に何か期待してしまうらしい。それにしても冬はあんなに長いのに、春って本当に短い。あと、花粉症がひどい。
俺は部下なので、宇田好みの珈琲を淹れてやりながら、さりげなく彼女の今日の仕事のスケジュールを確認する。
ホワイトボードに茅根の綺麗な字で、ざっくりした予定が書かれている。多忙な宇田のスケジュールだけど、今日の午後は空けてほしいと茅根に伝えておいた。
「オマエも午後は空きなんだね」
「あ、ゆづも?美味しいもの食べに行こうよ」
深く察していない宇田に安心しながら、俺は今日のネクタイがサックスブルーの生地に小さなピンクのドット柄だったことに気付いた。宇田の服装と妙にマッチしていて気恥ずかしい。
「それもいいけど、行きたいところあるから付き合ってくれる?」
「いいよー」