振り返って、接吻



「ゆづって綺麗な黒猫みたいだよねえ」

「俺って不吉なの?」


笑って返しながら、鈴つけて飼ってくれないかな、とか思う。あんまり音がするものを身につけるのは好きじゃないけど、宇田に可愛がってもらえるならいいや。


「くろねこさん、鳴いてみせてよ」

「にゃあ」


抑揚のない声で鳴いてみせると、宇田は楽しそうに声を上げて笑った。お気に召したらしい。平和だな、とおもう。


こんこん。

社長室のドアを礼儀正しく叩く音がした。それを追いかけるように聞こえるドア越しに聞き慣れた男の声。


「おはようございます、茅根です」

「おはようー、どうぞー」


宇田が許可すると、相変わらずスマートに頭を下げて茅根が入ってきた。鞄の他に、高級そうな紙袋を提げている。

自分の上着をハンガーに掛けながら、彼は接待用のテーブルと椅子でだらだらしている俺らに視線だけ寄越した。


「おはようございます」

「おはよう、茅根ものんびりコーヒー飲もうよ」

「朝からティータイムですか?」

「今日はあんまり仕事ないし、いいじゃん」


宇田に促されて、茅根は少し呆れたように俺を見る。俺も許可するように頷いた。


「おはよ、コーヒーマシンにまだ残ってるから、注いできなよ」

「そこまで言われたら、お言葉に甘えて」


社長室にあるコーヒーマシンは3杯分までいちどに淹れられる、この部屋だけの特別な機械だ。透明なガラスで出来ている、宇田が気に入ってドイツから取り寄せたもの。俺は、この機械がコーヒーを淹れるのを見ているのが好きだ。綺麗。
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