振り返って、接吻
おそらく俺の家と同じくらいの家賃で借りているマンションに着いて、慣れた流れで車を停めれば、宇田はひょいと軽快に降りた。彼女には朝と夜の感覚がないのだろうか。
「ありがとう」
「早くして」
「由鶴も寄って行きなよ」
「先に出社したいんだけど」
ここで自分の意見を尊重して先に出社しておけば良かったのに、社長様の言いなりである俺は宇田の住処に足を踏み入れた。
あまり女らしくないすっきりした部屋だけど、服だの靴だの鞄だのという女特有の持ち物はかなり揃っている。宇田にとっては容貌そのものも仕事道具のひとつであるし、着飾ることが彼女の唯一の趣味だと思う。
そんな女はいま、オーダーメイドされたスーツに着替えているのだろう。客を放ったらかして、姿が見えない。
やることもないので、リビングのソファに腰を下ろして、ふわっとあくびを漏らす。暇だ。まじで車買えよ運転しろよ。
ぼんやりとした退屈な思考のもとで白い部屋を見渡すと、そこには不釣り合いなものが落ちていた。ミント色とグレーの幾何学模様が目立つ、洒落た細身のネクタイだ。
俺は心臓の位置を確かめてから、そのネクタイを拾い上げて、持ち主を思い浮かべる。宇田に男の影はないから、やはりあいつで間違いないだろう。
でも、部屋にあげるような仲だとは知らなかったな。たしかに中性的ではあるが、茅根は明らかに成人男子だ。
ふうん、どうでもいいけど。