振り返って、接吻
「学生の頃は由鶴が隣に立ってないと不安だったなあ」
「嘘つき」
俺はこの長すぎる付き合いの中で、宇田が何かでミスをした瞬間を見たことがない。これほど隙が無いのだから、男が寄ってこないのも納得できる。というか結婚もできないと思う。
成績は余裕で学年トップ、たまに俺が逆転することもあったけど、やっぱり宇田には適わなかった。
コンテストでは必ず優秀賞を持ち帰り、大勢の前のスピーチはどんなに体調が悪くても完璧にこなしていく。宇田凛子は、そういう星の下に生まれたのだと思う。
「だって由鶴がいれば、何があっても大丈夫っていう気がするんだもん」
「オマエが何かやらかしても別に助けないよ」
「嘘つき」
ようやく食べ終わった宇田が、さっき俺が吐いた言葉を同じように繰り返した。それと同時に茅根がエスプレッソとチョコレートをテーブルに並べる。
なんとなく居心地が悪くなった俺は、宇田のぶんも重ねて食べ終わった食器を片付けた。手をかざすとぬるいお湯が出てくる蛇口は、潔癖な気質がある俺にはありがたい。
「社長と副社長の関係って、ほんと、全校生徒の憧れでしたよ」
「ゆづは人気あるよねえ、この絶対零度の視線に耐えなきゃいけないのに」
「でもやっぱり、由鶴くんの隣には社長しか並べないですよ」
「ふふ、そうかな?お似合い?」
「うん、お似合いです。おふたりって、付き合っていたことはないんですか?」
俺がキッチンにいた間、ふたりはすでにマグカップを傾けながらきゃっきゃと話していたらしい。
ちょうど戻ってきた俺に、宇田が顔を向けて訊ねてくる。
「あれ、あったっけ?」
「あるわけないでしょ、気持ち悪いこと言わないで」
そんなの、ない。だって、いちどでもそうなったら。
俺はオマエのことを、もう離したりなんかできない。
「まじで健全な友人関係なんですねえ」
感心したように茅根は言うけど、俺は目線を逸らしてしまった。
男女間で完全な友情を築けるのって、どれくらいの確率なんだろう。少なくとも俺たちはそうじゃない。
俺はまだ、宇田みたいにサイボーグでも宇宙人でもないから、昨夜のたかがキスごときだって、忘れるなんてできない。
宇田でしか味わえないあの甘美でほろ苦い感覚、思い出すだけで無性に泣きたくなった。まあ、きっと無表情だろうけど。