振り返って、接吻
俺と宇田は、幼馴染、同級生、上司と部下、親友、絶対的な危うさで、たくさんの関係に名前をつけてきた。それでも恋人になれないまま。
俺は宇田の“初めて”を奪った男だ。
刹那的な性欲なんかでは片付けられない沢山の欲にまみれた指先で、清らかな少女を穢した。
俺が宇田を抱いたのは、高校生のときだった。
無理矢理ソファに押し倒された宇田は、抵抗することもなく微笑んで。
———わたしのからだをあげたら、由鶴のぜんぶをわたしに頂戴。
あいつがそう囁いたあの日から、宇田の身体は俺のものになったのかもしれない。そして、俺はすべてを差し出したのかもしれない。
でも、宇田の中身は、まだ宇田だけのものだ。
動きの止まっていた俺の視界に、するりと細い腕が流れ込んで来た。
「ねえ、食べないならこのチョコちょうだい?」
俺のぶんとして茅根が用意してくれたチョコレート。それを宇田は食べたいらしい。他人のぶんまで横取りして食べるなんて、教養のある人間の仕業ではない。彼女には教養があるので、結論として人間ではない。
とはいえ、べつにチョコレートに執着もなかったので、返事もせずに宇田と目を合わせた。
それだけの仕草で彼女は俺から許可を得たと思い込み、迷わずそれを口に放り込む。まあ、宇田の欲したものを俺が否定したことなんて、これまでに一度もないけど。
あげるよ、チョコレートだってなんだって。
俺が持ってるものなら、金でも時間でも喜んで差し出す。もし持っていないものなら、手に入れるために惜しまず努力する。
そのことを口に出して伝えたら、宇田はどう思うだろうか。欲張りなオマエはきっと、俺なんかでは手にできないようなものをさらに欲しがるのかもしれない。
ちょうど、かぐや姫の求婚場面が頭を過ぎった。俺はかぐや姫と結婚したくてたまらない、馬鹿な男の、大勢の中のひとり。
かぐや姫が俺なんかと結婚したくないから欲しがってるふりしてることなんて、とっくに理解している。それでも俺は、きっと命がけでそれを見つけに行く。
貴女を俺だけのものにできる可能性があるならば、命なんてあまりにも安価だ。