振り返って、接吻
慣れた駐車場を運転しながら、ちらりとバックミラーから後部座席を盗み見る。窓の外を眺めている整った横顔は、やっぱり疲労が滲んでいた。
でも俺は、こういうときにどういう声をかけたらいいのかわからない。
茅根ならうまくやるんだろうなと思いつつ、どうしようもないから、何も話しかけずに宇田がお気に入りのバンドの曲を流した。
小さな音量だったけど、音楽に合わせた宇田の鼻歌を聴いて、緊張が解ける。
「きょうはみんなで忘年会だった?」
「そうだよ、分かってたなら呼び出すな」
「わたしだって、ゆづに超大事な用事があるって知ってたら呼び出さないよ」
「ふうん」
馬鹿なことを言う。オマエよりも大事な用事なんてないし、それに宇田は、俺が何か用事があるときほど呼び出してくる。
彼女はそうやって、じぶんの優先順位を確認している。こんなにも尽くしているのに、なぜ安心できない?
そう思いながらも無言で、宇田が気に入っている高級食材を扱うスーパーマーケットに向かって車を走らせる。
クリスマスが終わった今日もまだイルミネーションが彩られたままの華やかな歩道。肩を寄せ合う若い男女を見つけて、寒そうだなという感想。
「わたしはちょっと疲れたなあー」
ぐーっと伸びをした後部座席に座る上司が、バックミラー越しに見えた。感情を見せた人間味のある宇田はめずらしく、いつだって完璧な人間だと再確認させる。
完璧すぎて、全てが嘘くさい。
隙がなくて、人当たりが良くて、会話が得意。上から目線に見えないのにしっかり自信があって、それに見合う実力がある。だから、多くの人は宇田を『欠点のない人間』として評価する。
でも、そんなのぬるい。宇田を人間として扱っているうちはまだまだだ。
こうやって、たまに感情を見せるけど、それさえも完璧な人間を演じるための嘘のように思えてしまうのだ。感情がない人間なんていないわけだからね。
「何がそんなに疲れたの」
興味もないけど、上司に対する礼儀として、右にハンドルを切りながらたずねた。
俺はドライブが好きだから、次の休みは少し遠出をして海辺を運転したりしたいな。どうせ、起きたら夕方なのだろうけど。
「うちの娘を由鶴と結婚させたいっていう取引先の方が多すぎる」
「へえ?」
「ご結婚されてないんですよねって何回も確認されるんだよ、由鶴って欠点がないから、未婚なのが不思議みたい」
「余計なお世話だね」
「ほんとそれ」
俺が誰と結婚するかなんて、どうだって良いことだろうが。それなのに、日本の経済を大きく動かすと勘違いしている大人が多すぎる。
どこの令嬢と結婚しようが、俺は、うちの化粧品会社に利益さえあればなんだって良いんだから。あと、うちの実家にも損害がないとさらに良いけど、あれは俺の結婚どうこうで動かす程度の規模じゃない気がする。
宇田もそうだけど、本当に大きな権力を持つ家では、もはや政略結婚にしがみついたりしない。それに、時代も時代だし。
宇田のご両親は、パーティーなんかで俺や俺の親に会うと、「うちのおてんば娘、もらってくれない?由鶴くんなら、凛子も親戚一同も大歓迎なのだけど」なんて冗談めかしてみたりするけど。
どうせなら、もっと激推ししろよ。それこそ俺とお見合いとか——いや、それは笑うかも。
「ハニーって結婚する気あるの?」
いかにも宇田が好きそうな話題だ。面倒だな、と思いつつもスーパーの看板が見えてきたから「もう着くよ」と返した。