振り返って、接吻
焼く手前までの過程を終えて、濡れたままの髪の宇田がリビングに戻るのを待つ。どうせそろそろだ。ほら、ドアが開く。
「おなか空いたー」
「髪乾かしてから来てよ、廊下が濡れる」
「あーごめん、面倒臭くて」
「期待した目で見るな」
諦めて視線を合わせると、彼女は嬉しそうにこちらに寄って来た。俺は小さい頭にふわふわしたバスタオルを被せてやる。
もちろん、仕方なく、呆れている、というポーズは忘れない。柔らかいシャンプーの香りに目眩がするなんて、絶対に言いたくない。
「ゆずが髪拭いてくれるのってわたしだけ?」
「茅根とやってたら気持ち悪いでしょ」
「たしかにー!じゃあこれからもわたしの髪以外は駄目ね!」
「オマエの髪も嫌だよ」
宇田の髪は細くて絡まりやすいから、丁寧に拭いてやらなければいけない。普段さらさらと流れる髪は、濡れていると少しだけウェーブがかかって見える。
そういえば、幼少期の宇田はふわふわの髪の毛だった。それがすごくかわいくて、生まれつき直毛の俺はその違いに宇田の“おんなのこ”を感じ取っていた。
それはたしか、中等部にあがったとき。美容室帰りの宇田は、新しくなった髪型を自慢げに披露してきたんだ。
さらさらになった、まっすぐな長い髪。それこそ、俺と同じような黒髪。頭を囲う艶の輪っかまでお揃いで、なんだか、つまらなかった。
だから、女の子の敏感なきもちなんて察することができるはずもない当時の俺は「ふわふわの髪の毛、すきだったのに」とがっかりしてしまって。
褒められることしか想定していなかった宇田は「もとからサラサラのゆづには分からないよね」と怒って2週間も口をきいてくれなかった。こういうことは、たまに、ある。
「ゆずは、意外と女の子の扱いが丁寧だから狡いよね」
自分の回想からはまったく見合わない褒められ方に、苦笑してしまう。
これは髪を乾かしている俺のご機嫌を取ろうとしているだけなので、「そう?」と返事するだけにした。
「そうだよ、歴代の彼女も自慢げだったもん!わたしにだけ優しいのよーみたいな」
「俺、優しくしてかな」
「知らないよそんなの」
拗ねたようにバスタオルの中でむっとする宇田がおかしくて、つい、甘い言葉をかけたくなってしまう。
「まあ、扱いが丁寧なのはオマエだけだよ」
「〜っ、ああ、ほんとずる、」
なんだこれ、両想いみたいだな。なんて、何度も繰り返した馬鹿な妄想に口元が緩む。水分を含んだバスタオルを手渡して「ドライヤー行ってきて」と声を掛けた。
今日は晴れている。カーテンのレース越しでも日差しに目を細めてしまうくらいだ。冬の太陽って、夏よりも眩しいような気がする。
皿を2枚、グラスを2つ。そこに浮腫みを気にする宇田のためにオーガニックのルイボスティーを注いだ。黄金色の液体はきらきらと美しい。
ドライヤーの風音が止まったと同時に、タイミング良くチーズがとろけて焼き上がった。
なんだか今日は素晴らしい日だ。
そう、気味が悪いほどに。