振り返って、接吻


それからも順調にパーティーは進み、宇田社長がステージに立つ番がきた。天使の羽のように裾をなびかせて優雅に歩く姿は、やはり生まれつきのお嬢様。しょせん彼女は、日本屈指の金持ちの家に生まれた娘だと改めて思わされる。


しかし、壇上でマイクを握れば、もうそこには若くして成功を収めた女社長の姿があった。楽しそうに愛おしそうに、新作の化粧品たちを紹介してゆく。


今期はくっきりとした3次元な顔立ちが流行る。くっきりとした目鼻立ち、顔の凹凸を化粧で作るわけだ。それによって小顔効果も強く期待できる。

そこでようやく俺は、宇田が小顔マッサージをやり込んだ理由に辿り着いた。


自信のある新商品たちをさらに魅力的に披露する、これも宇田社長の仕事のひとつだ。そんな静かな努力をする姿勢を高く評価するし、俺の前でだけその努力を見せてしまうところに優越感を覚えていた。


なんて、白い立派な柱に寄りかかったまま、茅根と並んでステージに立つ宇田をぼんやりと眺めていた。周囲からの熱視線を感じ、宇田の話に集中できなくて隣を盗み見る。


けれど、同じように壇上を見上げている茅根が何を考えているのかは、まったく判別できなかった。穏やかな笑みを浮かべているけれど、彼にとってこの顔がデフォルトだ。喜怒哀楽のぜんぶが笑顔。しかも子供の頃からこんなかんじ。


金持ちが集う社交界での大人ウケは抜群だった茅根の幼少期に脳内で小旅行していると、視線に気づいてこちらを向いた茅根がにやりと悪戯っぽく笑った


「副社長のその視線で俺らの恋人疑惑が浮上するんですよ」


わざと俺の耳元でそんなことを囁く茅根も、その疑惑に一役買っているに違いない。

「マジで勘弁して」

「サービスでキスでもしておきます?」

「誰に向けてのサービスなの」

「パフォーマンは大事でしょ?しかも、ギャップを狙って俺が攻めです」


俺が社内で2番目に苦手としているこいつは、相変わらず飄々と冗談をかます。いちおう上司の立派なスピーチの最中なのに。

まあね、その上司こそが、社内で1番苦手としている相手ですけれども。


そんなやりとりをしていると「この場を借りて、私事にはなるのですが、ささやかな発表をいたします」みたいな感じの言葉が会場に響いた。ざわめく周囲に、俺の心臓もざわざわと毛羽立つ。

発表なんて何も事前に聞かされていない。
だけど、思い当たることがないわけじゃない。

ひどく不安になってしまったこころを落ち着かせたくて、相変わらず堂々としている宇田を見上げる。



『———、—————』



だめだ、聞きなれた声の日本語が、まったく頭に入ってこない。異国の言語みたいだ、喋っているのはわかるけど内容が処理できない。



宇田の声は有色透明だ。着色料の毒々しい緑、ちょうどメロンソーダみたいな色の声をしている。

きれいに紅が引かれたくちびるの動きと合わせて、スピーカーからメロンソーダの声が流れる。しかしその音色は、脳内に言語として伝達されない。


冷静沈着なことだけが取り柄の俺が完全に取り乱しているのを見つけて、茅根は秘書らしく要約した。



「社長と婚約したんだね、おめでとう」



端的なそのせりふから事態を把握した俺は、心臓が冷たく震えるのを感じた。まるで、青い炎がぼうっと燃えたような。いや、それなら熱いか。なんだろう、これ。



「どうしよう、ぜんぶ俺のせいだ」
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