振り返って、接吻
「そろそろ帰る?」
人混み、というか人間そのものが苦手な俺に再会した宇田は頃合いを見て、脱出を促してくれる。もちろん、迷わず頷いた。
いつもより早いけど、宇田が言うのだから今がベストなタイミングなのだろうし、俺の疲労は限界だった。
みんなに挨拶を終えた宇田社長は、華奢な肩をぐりぐりと乱暴に回しながら俺が運転席に着くよりも早く後部座席に乗りこんだ。
俺もあとに続いてシートベルトを締めながら、後ろでピンヒールを脱いだ足を椅子にのせたのをバックミラー越しに確認する。ああ、こういう些細なところに苛立つ。
それにしても、パーティーにはリムジンってどこかの誰かが決めてくれたはずなのに、俺は自家用車を運転している。あした時間できたら洗車にいこうと決めた俺は、副社長の器ではないかもしれない。執事、あるいはタクシードライバー。
「新作の反応、けっこう良かったよねー」
俺が車のエンジンをかけると、宇田が喋り出した。なぜだかいつもリンクしている。
俺の婚約者はご機嫌で、独り言のボリュームが調整できていない。気味が悪いのは、相変わらず。
俺は無言で頷いて、アクセルを踏む。立派な車も入るような広々とした駐車場のため、ふつうの国産車を運転するのは容易い。
そろそろ良い車買おうかな、と考える。でもこのサイズが便利だし、家族も荷物も多くないし。貧乏性ということは決してないけれど、散財することに快感を得る浪費家でもない。
何にも興味を持たない自分は、流行りの音楽をBGMに選んだ。歌詞をひとつひとつ理解するというよりも、歌詞の音のリズムを楽しむのが宇田の聴き方。俺は無音のほうが好き。
「ねえ、ハニー!きいてるー?」
「ごめん、聞いてない」
「ひどいなあ、もう一回そのまま喋ろうか?」
「興味ないからいいよ」
独り言じゃなかったのか、と思いつつ、まだ会場に残って仕事をしている秘書のことを考える。
あのふたり、いつ買い物とかしているのだろう。多忙を極めているだろうに、いつも小綺麗にしていて立派な社会人だ。
無理矢理にでも休ませてあげないと、真面目な秘書たちは過労死してしまいそう。宇田や俺は仕事くらいしか趣味もないからいいけど、せめて千賀は女性だし。次に少し空きができるのは、おそらく来週の後半あたりかな。
「ねえ、わたしたちいつ籍入れる?」
助手席のほうに身を乗り出した裸足の宇田が、俺のすぐ横に顔を寄せてうきうきした声音で聞いてきた。黙っているのも話を聞いていないのも気にしないくせに、俺が他の誰かを思い浮かべるのは気に食わない女王様。