振り返って、接吻

ベランダから部屋に戻ると、ゆったりした仕草の恋人はまだベッドの上で微睡んでいた。

その妖美な雰囲気に飲まれるはずもなく、俺はゆるりと目を細める。


「ありがとう、お邪魔しました」


身だしなみを軽く整えて、余計な詮索をされる前に言葉を投げると、恋人は「もう少しゆっくりしていってよ」と想像通りの言葉を返してきた。

それもそうか。さくっと欲だけ吐き出して、電話がかかってきたからすぐに帰る男なんて、低俗にも程がある。

でも、俺、このひとに嫌われてもどうでもいいし。


「予定、あるから」


端的に告げると、恋人は縋るように俺のワイシャツの裾を掴んだ。こうなってくると面倒だ。舌打ちを鳴らしそうになって、なんとか堪えた。



「彼女は、わたしだよね?」

「うん」

「ねえ、ほんとに?」

「でも、それ以上面倒なこと言うなら別れるよ」


俺は、纏わりつく恋人の手をさらりと振り払った。聞き分けの良い恋人はすっと手を離して、捨て犬みたいな目で俺を見つめる。まあ、犬を捨てたことはないけど、たぶんこんなかんじだと思う。



「お利口な子は好きだよ」



女の頭を軽く撫でてやって、俺は部屋をあとにした。

玄関で、またきてくれる?と甘えた声を出す恋人に、音もなく頷いておいた。


こういう無意味な時間を過ごしていると、俺はどうして恋人を必要としているのか分からなくなる。宇田さえいればいい、と思う時間がほとんどだけど、無性に宇田を忘れたい瞬間がたまに訪れるのだ。

そういうとき、恋人という存在はとても便利。当然ながら彼女のことが嫌いなわけでもないし、俺なりに大切にしているつもりでもある。

ただ、それよりも上に、宇田がいるってだけ。


でも、そんなことは玄関を出たらすぐに頭から消えて、頭の裏側ではへらっと笑う宇田が浮かんだら消えたりしはじめた。宇田のことを考えると意味もなく腹が立って、なぜか意味もなく泣きたくなって、どこか甘美で胸焼けがする。

だから、嫌いだ。
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