振り返って、接吻
相手が誰なのか確認もしないが、もう、わかっている。俺はワンコールも待たずにスマートフォンを耳に当てた。
『もしもし?由鶴くん?』
「っ、誰?」
電話越しに届いたのは、おそらく聞いたことのある女の声。想定外の声に慌てるが、宇田ではないことだけ脳が処理をする。
宇田か、宇田以外。俺の脳みそは、それしか判別できないらしい。
『うわあ、ひどいなあもう、ほんとうに宇田さんにしか興味が無いのねえ』
「ねえ、はやく、宇田の声聞きたい、」
『由鶴くんって、宇田さんのことになるとかわいいねえ』
「おねがい、宇田は?ねえ、宇田は?」
普段は堰き止められている感情が、洪水みたいに溢れ出してくる。相手の言葉なんて、ちっとも響かない。
宇田の声が聞きたい、そうしたらきっと落ち着くから。早く俺に電話してよ。迎えに来てって、我儘言ってよ。
『私ってば、ばかみたい。由鶴くんのそんな一面知らなかったもん』
———恋人は、わたしなのに。
俺は、駆けっこが得意な少年だった。
体力測定での50メートル走、リレーのアンカー、マラソン大会。背が高いというのもあって、特別な練習をしなくても速く走れた。
でも、もし毎日走り込んでいたら、もっと速く走れたと思う。
もっと速く走って、少しでも早く宇田を抱きしめてあげたかった。
無駄に広い校舎を全力疾走して、屋上に向かった。さっき、電話越しに屋外の音をきいたから、電波の先が外であったことは確実だ。