神殺しのクロノスタシスⅤ〜後編〜
「?どうかしましたか?」

「えっ、いや…。えっ…!?」

とてもじゃないけど、信じられない。

まさかあのイレースちゃんが、私を気遣い、チョコケーキを勧めてくれるなんて。

物凄くびっくりした。

「あの」イレースちゃんが。まさか。

あっ、もしかして…そっくりさん?

「…イレースちゃん。イレースちゃん…だよね?」

「はい…?そうですけど…。どうかされました?」

「…」
 
どうかされました、はこちらの台詞だよ。

私の目には、イレースちゃんの方がどうかしたようにしか見えない。

私が学院長室でうたた寝していたら、脳天に容赦のない拳骨を入れて、文字通り叩き起こ…いや、殴り起こし。

私がチョコケーキを貪っていようものなら、「怠惰の極み」、「パンダ学院長」と罵り。

学院に届いたお菓子の請求書を、こっそり隠そうものなら。

雷の迸る杖を持って、地獄の果てまで追いかけ回してくる。

これが、私の知るイレースちゃんだった。

…。

…改めて考えてみると、なかなか強烈な個性を持ってるね。イレースちゃん…。

いや、元はと言えば私が元凶なんだけど。

それなのに、今目の前にいるイレースちゃんは。

同じ顔なのに、まるで別人のような言動をしていた。

「お、怒らないの?」

「え?何をですか?」

「ね、寝坊だとか…。チョコ食べ過ぎだとか…」

いつものイレースちゃんなら、私が寝坊したってだけで、嫌味の三つや四つは軽く飛んでくる。

「学院長として示しが付きません」とか。

「年寄りだから、さぞや朝が辛いんでしょうね」とか。

「さすがパンダ学院長。寝ることと食べることにおいて、あなたの右に出る者はいませんね」とか。

…自分で言ってて、何だか悲しくなってきた。

しかし、目の前にいる幻イレースちゃんは。

「?何故そのようなことを…?聖賢者様はいつもお忙しいのですから、たまにはゆっくりお休みになってください」

嫌味でも罵倒でもなく、心から私を気遣っているような、優しい声と表情で。

いつものイレースちゃんとギャップがあり過ぎて、私は思わず目が点になってしまった。

「それに、お忙しい聖賢者様にとって甘いものは、唯一の息抜きのようなものでしょう?息抜きも必要ですよ。あなたはいつもオーバーワークばかりなのですから、少しくらい食べ過ぎるくらいの方が丁度良いんです」

にっこりと微笑んで、私にチョコケーキを食べることを勧める。

凄いね、本当にびっくりだよ。

同じ顔で同じ背格好で、どう見ても姿形はイレースちゃんそのものなのに。

言動がオリジナルと全く違うだけで、完全に別人だよ。
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