神殺しのクロノスタシスⅤ〜後編〜
もしこの世界が、全部偽物で…。

今目の前にある幸福が、誰かの作り出した幻想に過ぎないのだとしても…。

ここにいる、俺以外の全ての人が幸福に生きられてるいるなら。

別に、偽物でも幻想でも良いじゃないか。

「だって元の世界では、僕はリリスと離れ離れで、言葉を交わすことも触れ合うことも出来ないんでしょう?」

「…そうだよ」

「僕だけじゃなくて…イレースさんや天音さんやマシュリさん達も、それぞれ悲しい過去を持って…。その悲しい過去に、今も苦しめられてるんでしょう?」

「あぁ。そうだ」

「今ある幸福を手放して、そんな悲しい世界に帰りたいと望む人間は居ませんよ」

…分かってるよ。

だから皆、俺がおかしいって言うんだろう?

元の世界というものが、本当に存在するのだとしても。

そこに帰りたいと望む者は、一人もいない。

「だから、難しくあれこれ考えてるんですよね。どうするべきなのかって」

「そうだよ。…よく分かってるじゃないか」

「あなたの心に書いてますからね」 

そうだったっけ。

じゃあナジュには、今の俺の心ぐっちゃぐちゃになっているのも、バレバレってことか。

「ですが、難しく考える必要はありませんよ」

「…え?」  

「この世界は、あなた以外の全ての人間は幸福です」

それは知ってる。

でも、それがどう…、

「でも、あなただけは不幸です。あなたは自分を犠牲にして、他人の幸福を選びますか。それとも自分の幸福を諦めずに、他人の幸福を犠牲にしますか」

「…」

「その覚悟がありますか。…それだけの話です」

「…そういう、ことかよ」

「えぇ、そういうことです」

…酷く残酷な選択。

選べって言うのか。俺に。

自分を犠牲にすることで、この偽りの世界で仲間達の幸福を守るか。

仲間達の幸福を犠牲にすることで、自分が戻りたい世界に戻るか。

「…選べないよ、そんなこと」

「そうでしょうね。でも、選ばないといけないんでしょう?」

その通りだ。

このままずっと悶々と悩んでいても、何も解決しない。

動かなければ。行動しなければならない。

迷っていれば、いずれ元の世界に帰りたくても帰れなくなってしまうだろう。

根拠がある訳じゃないけど、そう感じるのだ。

元の世界に帰れる期限は、恐らく間近に迫っている。

「…俺は、どうしたら良いんだと思う?」

「…それは、僕には答えられませんね。その質問に答えられるのは、あなたの大切なシルナさんだけでしょう」

そうだな。

これは、俺と…それから、ここにはいないシルナの問題。

だから結局、俺が考えて、俺が決めるしかないのだ。

誰かに責任を背負わせる訳にはいかない。

俺が背負わなければならない覚悟、責任なのだ。

「…どうしたら良いのか、という質問には答えられませんけど」

ナジュはくるりと踵を返して、そう言った。
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