神殺しのクロノスタシスⅤ〜後編〜
…この人。

気配を…全く感じなかった。

まるで、マネキンか人形のようだ。

同じ部屋にいたのに、声をかけられるまで全く気づかなかったなんて…。

…いや、違う。

今こうして、この人を前にして向かい合っているはずなのに。

それなのに、まだ気配を感じない。

まるで、人間ではない…異形の何かを相手にしているような感覚。

私は背筋が寒くなった。

…この人は…一体、何者なの…?

「…あなたが、私を攫ったんですか…?」

恐怖心を抑えながら、私は目の前の人物に尋ねた。

見た目は、普通の青年のように見える。

まだ幼さを残す顔立ちをしていて、しかし、感情を感じさせない仏頂面をしているせいで、見た目より大人びて見えた。

この人が、私をここに連れてきたのだろうか?

「自分を攫ったのが何者か…。自分で思い出せないの?」

彼は逆に、私に尋ね返した。

自分で…。

私はぼんやりとした記憶を辿り、あのとき私の部屋で何があったのかを思い出そうとした。
 
突然窓の外から音がして、バルコニーに…そう、猫がいた。

猫を部屋に入れてあげて、ミルクを持ってこようと背中を向けた、その瞬間…。

…突然、背後に禍々しい気配を感じて…。

振り返ったとき、そこにいたのは…。

「…っ…」

私は自分の見たものが信じられなくて、身体を震わせた。

「思い出したようだね」

「…嘘です。嘘です、あのような…」

何かの間違いだ。そうに決まってる。

だって…。

「あのような…何?」

「あ、あ…あのような…ば、バケモノが」

「…」

「バケモノが…この世に存在するはずがありません…!」

私が見たのは、バケモノだった。

人間ではない。あれは断じて…人間などではなかった。

この世の生き物ではない。

ましてや、今私の目の前にいる青年とは、似ても似つかない。

私を誘拐したのはバケモノだ。この人じゃない。

「…バケモノが、この世に存在するはずがない、か…」

「あなたは…あなたは何者なんです?あなたがあのバケモノを使役して、私をここに連れてきたんでしょう?」

「…」

私は恐怖心を抑えながら、ここぞとばかりに追及した。

「目的は何です?…知っているのか存じませんが、私は聖魔騎士団副団長で、聖魔騎士団団長アトラス・ルシェリートの妻です」

こんな脅しが通用する相手なのかどうか、私には分からない。

だが、今私に出来る抵抗は、これくらいしかない。

「私を誘拐したことが知られたら、あなたもただでは済みませんよ」

脅しをかけるのは危険だ。それは分かっている。

この人が逆上して、もっと悪い状況に陥る可能性だってある。

その危険を承知した上で、私は毅然とした態度を崩さずに続けた。

「今すぐ、私を解放してください。抵抗されなければ、悪いようにはしませんから」

これは本心だった。

今心変わりをして、私を解放し、自首してくれるのであれば。

一時の気の迷いということにして、罪には問わないつもりだった。

…しかし残念ながら、そんな私の安っぽい脅しに屈する相手ではなかった。
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