神殺しのクロノスタシスⅤ〜後編〜
「帰る場所があるんだ。帰りを待っててくれる人がいるんだ」

「…それは…」

…いる。私の帰りを待ってくれている人が。

私には帰る場所がある。

だから、そこに帰りたくて必死になっているのだ。

「良いね、君は」

「あなたには…いないんですか。帰りを待ってくれる人は」

「いないよ」

即答だった。考える素振りも見せない。

そう…ですか。

「僕には何もない。帰る場所も、僕を待ってくれる人も。友達も家族も。僕の存在を許してくれる人さえいない」

「…そんなことは…」

それは言い過ぎじゃないですか。

どんな人間だって、自分を愛してくれる人が一人くらいは…。

…いえ。

それは綺麗事ですね。

私だって覚えがある。

アトラスさんに出会う前の私は…今目の前にいる彼と、全く同じことを考えていたから。

愛されて初めて、自分の存在に生きる価値があると思えるようになった。

でもこの人には…。

「あなたは…何処から来たんですか。ご出身は?」

「…」

「お名前は何と言うんですか?…教えて下さい」

「…いきなり優しくなったね」

そうですか?

昔の私と同じことを考えているあなたに、親近感が湧いたのかもしれませんね。

「僕は…マシュリ。マシュリ・カティア」

私を誘拐した犯人は、自らをそう名乗った。

マシュリ…マシュリさん。

聞き覚えのない名前だから、恐らく初対面ですね。

「マシュリさん…。…お生まれは?ルーデュニア聖王国ですか?」

「…」

マシュリさんは何も答えなかった。

名前は答えても、出身地は言いたくないようだ。

良いでしょう。あなたが何処の生まれでも構わない。

「どうして、私をここに連れてきたんですか?…お金が目的ですか?」

私を人質にして、身代金を要求しようと?

それとも…。

「いいや。お金なんてどうでも良い」

…身代金目的ではない、と。

そうですか。…そうなんじゃないかと思っていました。

「では、お金以外の対価を要求するつもりですか?」

「違うよ。僕は君を人質にするつもりなんてない」

「…」

…それは…残念ですね。

モノが目的でないのなら、彼が私を誘拐した目的は…。

他でもない…。

「僕が欲しいのは…君自身だ」

…他でもない、この私の命。

背筋に冷たいものが伝い落ちた。

果たしてこのマシュリさんという方は、何者なんでしょう。

この人に命を狙われて、私は無事に…帰ることが出来るんだろうか。

…いや、諦めてはならない。

何としても、生きて帰るのだ。

私には…帰るべき場所が、私を待ってくれる人がいるのだから。
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