スカウトしたはずのイケメン御曹司からプロポーズされました
   *

「本当にキスしちゃってもいいですよ。減るもんじゃないんだし」
 芝居をやっていると一度は耳にするフレーズを、奈央子が臆面もなく口にする。殊勝な心掛けではあるが、問題は相手を思い切り煽っていることだ。
 舞台上で、汎用性の高い箱型の椅子に腰掛けて、勝ち気な笑みを浮かべて貴博さんを見上げている。二人とも照れたら負けだとばかりに見つめ合っているので、彼が手を出す前に私が止めに入らなければならなかった。
「何ムキになってるの?」
 実際に稽古が始まると、段々と敬語を使う余裕はなくなってくる。芸能界で年齢より芸歴が優先されるのは、こういうところから来ているに違いない。
「ふりでいいわ。映画みたいに大写しでばっちり見えるわけじゃないんだから」
「でも」
「気持ちが入って本当にしたくなったら、その時また考えればいい。ここは今まで聞き役に徹していたヒロが、初めて自分の意思で動き出すところなの。その気持ちの変化の方が大事なの。やる気があるなら動きよりもそういうところを作り込んでほしいんだけど」
 分かってやっていた奈央子は、少し反抗的な表情を残しながらも素直に頷く。対して貴博さんは反応らしい反応を見せなかった。
「聞いてる?」
「あ、ああ、もちろん。聞いた上でちょっと考えてた」
「何を?」
「ヒロが何を考えているのか、かな」
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