狐火の家のメイドさん 〜主人に溺愛されてる火傷だらけの侍女は、色々あって身一つで追い出されちゃいました。
1 追い出されちゃいました
「もうこの家に近づくんじゃないよ」
そう言われ、ニ十歳になったばかりの蜜井戸さぎりは、玄関からぽてりと追い出されてしまった。
手に持つのは、旅行鞄一つ。
元々、さぎりの荷物は少ない。
どうせ燃えてしまうからと、ここ四年、持ち物を殆ど新調していなかったからだ。
服だって、外で着られるのは、今着ているものと、鞄に入っている二着程度である。
けれども、そんなことはどうでもよかった。
十二歳で奉公に出て、七年勤めたこの萩恒家。
追い出されるときは、こんなにもあっけないものなのか。
さぎりは、この家の主人とも、その七歳の姪っ子とも、とても仲が良かった。
だから無意識に、ずっとずっと、お婆さんになるまでここで働くのだと、そう思っていたのだ。
けれども、さぎりは平民だ。それどころか、八歳のときに妖怪に親を殺され、孤児になってしまった。親戚の家に居候をしていたけれども、歓迎されることのなかったさぎりは、十二歳で奉公に出ようと決めていた。そこに、母の友人が奉公先を紹介してくれたのだ。紹介先が、六大公爵家の一つである萩恒家だと聞いて、驚いたあの日のことは、今でも忘れることは無いだろう。
そう、目の前の家は、この和楊帝国に六つしかない、公爵家の一つ。
元々、さぎりなんかに、こんな素敵なお貴族様の家でずっと働く権利なんてなかったのだ。
さぎりは、家の者のちょっとした采配であっという間にクビになってしまう、そんな吹けば飛ぶような存在なのだから。
『お前のような者は、崇史と希海の近くにいるべきではない』
先程言われたばかりの言葉が、脳裏に蘇る。
『火傷痕の見苦しい、醜女が』
この国に多い黒髪に、蜜井戸家の者によく見られる蜂蜜色の瞳。顔立ちは悪くはないと自分では思うけれども、そんなものは関係ないと言わんばかりに、体のあちこちにある火傷痕。
さぎりは、ぽろりと涙を一筋こぼした。
言われてみたらそうだ。
こんなふうに首元にまで火傷痕のあるさぎりが、侍女として横に控えていたら、当主である崇史や、公爵令嬢である希海の評価がきっと下がってしまう。
ただ、さぎりには、他に何もないのだ。
ここでの仕事を失ったさぎりには、何もない。
何もなかったのだと、追い出された今、改めて思い知った。
さぎりは、しばらくその場で立ち尽くしながら、ぽろぽろと涙をこぼす。
希海は、大丈夫だろうか。
さぎりがいなくなって、泣いていたりはしないだろうか。
……いや、大丈夫だろう。
崇史の叔父の手配で、今の希海の周りには、沢山の女手がある。さぎりしかいなかったこの四年間とは、訳が違うのだ……。
なんとかハンカチで涙をぬぐい、顔を上げ、さぎりは萩恒家に向かって、深く深くお辞儀をする。
(今まで、ありがとうございました)
さぎりはこの七年間、幸せだった。
だから、最後は感謝の気持ちだけを、この家に向けていたい。
そうして、顔を上げたさぎりは、なんとか涙をこらえて、その場を立ち去ろうと萩恒家に背を向けた。
――その瞬間、背中から勢いよく何者かに張り付かれた。
「わぁっ!?」
「きゅーん」
「!!? こ、子狐ちゃん!?」
さぎりの背中に張り付いているのは、たまに萩恒家の屋敷の中でよく見かける、小さな小さな子狐だった。
どういう種類の狐なのかはわからないが、ふわふわの黄金色の毛をした小さな狐は、緋色の目に涙をため、さぎりの背中に張り付いている。
「子狐ちゃん、どうしたの?」
「きゅん」
「もしかして、一緒に来てくれるの?」
「くぅーん!!」
背中に張り付いている子狐を、さぎりはなんとか腕の中に抱く。
共に来るのかと聞いてみると、子狐は嬉しそうに、さぎりの腕の中に収まった。
この子狐は、きっと萩恒家で飼っているのだろう。この子狐が居なくなったら、希海は寂しがるのではないだろうか。
そう思うと同時に、この子狐が腕の中に居てくれるだけで、心細かった気持ちが暖かく満たされていくのを感じる。
「……ほんの少しの間だけなら、いいよね」
「きゅーん?」
「ちょっとだけよ。私が落ち着いたら、貴方はこのおうちに帰らなきゃだめよ?」
「きゅん!?」
「もう。そんなにびっくりしないの」
さぎりの言葉に動揺しているかのように、びくりと体を跳ねさせる子狐に、さぎりは思わずくすくす笑ってしまう。
こうして、さぎりは萩恒家を去った。
そしてそれは、萩恒家の大事な大事なお狐様を連れてのことになってしまった。
しかしそのことに、さぎりを追い出した崇史の叔父は、まだ気が付いていないのだった。
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