孤独な悪役魔王の花嫁に立候補します〜魔の森で二人と一匹が幸せを掴み取るまで〜
名前すら呼ばれたことがなかったのに。触れられたことすらなかったのに。強く抱きしめられて、心が、うまく呼吸できていない。
暗黒期が訪れたときに本当にちゃんと花嫁になれるのか不安で考えないようにしていた、アルト様への感情がなんなのか。
それを考えなくてもいいくらい、ここでの日々は穏やかだったから。
でも、こんな風に揺さぶられてしまったら――
これが恋なのだと、気づいてしまう。
コンコン。と控えめに扉が叩かれる音に、私の心も跳ね上がってしまう。今アルト様と顔を合わせたら、なぜか泣いてしまいそうな気がして私はブランケットを鼻まで引っ張り上げた。
「アイノ、眠っているのか? 入るぞ」
ゆったりとした足音から、『夜』の姿ではないことを知る。
何やらガサゴソと音がするから薄目を開けてみれば、昨日と同様に水差しと食べ物を大量に並べるアルト様の姿が見えた。
テーブルの上には昨日と同じくサイコロ状にカットされたりんごが見えた。
――勘弁して欲しい、愛しいから。
キッチンで食べられるものを大量に見繕って、浮遊させて食べ物たちを引き連れてこの部屋まで行進してくる様子を思い浮かべると可愛くて仕方ない。
もうダメだ、降参。私は萌えなんかを通り越して、ありのままのアルト様が好きだ。
「すまなかった」
私を見下ろす視線を感じてしっかり目を閉じ直す。私の狸寝入りには気付かないのか、彼が屈んだことを空気で感じ取る。
一束、髪の毛を掬われる。……目を閉じているけど、何をされているかわかる。
アルト様は私の髪の毛にキスを落として部屋から出ていった。
……やっぱり、うまく呼吸ができない。