まがいもの令嬢なのに王太子妃になるなんて聞いていません!
「困ってはいません。お願いがありまして……いえ、そんな大げさなものではなく、でもややこしくなるので、やっぱり言うのはやめようかとも考えていまして」

 なにを迷っているのかわからないが、日頃つつましく謙虚に暮らす妻にねだってもらえるのは嬉しい。なんでも買ってあげたくなる。

「言ってくれ」

 ドレスやジュエリーか、それとも趣味の料理に使う珍しい調味料かと予想しながらパトリシアの手を握った。

 するとポッと頬を染めた彼女が恥ずかしそうに口を開く。

「ふたりきりの時だけで構いませんので、私を別の名前で呼んでいただきたいのです」

 突拍子もない頼みごとに面食らう。

「なんと呼ばれたいのだ?」

 子供の頃から親しんだ愛称があるのかもしれない。

(パトリシアならパティか? まさかとは思うが、母親が幼い娘によく言う〝私の可愛い小ウサギちゃん〟などではあるまいな)

 性格上も立場上も、そう呼ぶのは無理である。

 しかしパトリシアが望んだ名は――。

「私の本名はクララと言います。パトリシアは後から父が付けた名前で、自分じゃない気持ちになるんです」

 戸籍は国家ではなく生まれた地を治める領主が管理している。

 クラム伯爵が娘の戸籍を己の領内に作った時に名前まで変えてしまったという。

(そんな……!)

 ハンマーで頭を殴られたかのような衝撃で言葉が出ない。

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