凄腕外科医は初恋妻を溺愛で取り戻す~もう二度と君を離さない~【極上スパダリの執着溺愛シリーズ】
二章(side宏輝)

【二章】side宏輝

 会いたいと希い続けた最愛が、俺とそっくりの子どもを抱いて悲しい顔をしている。
 指の腹で頬を撫でた。
 少し、やつれた。そう思う。苦労をかけてしまった。

 再会した瞬間を思い返す。

 一面の桜色の靄のなか、吸い込まれるような黒曜石の瞳を丸くして、茉由里がぼうぜんと俺を見ていた。春の夕風にぬばたまの黒髪が揺れる。陶磁器のような肌がさらに白く見えた。唇だけが鮮やかな珊瑚色。その唇がわななき、俺の名前を紡いだ瞬間の幸福を、茉由里は想像もできないだろう。

 どれだけ俺が待ち望んだ瞬間だったのか。

「茉由里。君を──君たちを守る環境がようやく整った。一緒に東京に帰ろう」

 茉由里は困惑しきった顔つきで俺をただ見つめている。
 さて、どこから説明したらいいのだろう。

◇◇◇

 医学的な根拠は全くない、ただの勘に過ぎなかったけれど、俺は茉由里がすでに妊娠しているのではとふと思った。入籍予定日の一週間前、アメリカで行われた学会からの帰宅中の出来事だった。

 プロポーズのあと、すぐ一緒に暮らしだした成城の低層マンションが見える。バルコニーが広めで、小さな子どもを遊ばせるのにもいい。もちろん転落事故対策はきっちりとしなくてはいけないけれど……と、そんなことを考えながらエントランスに鍵で入り、エレベーターのボタンを押した。
 部屋に入ると、人の気配がない。
 俺は眉をひそめ廊下を歩く。

『茉由里?』

 実家に帰るなんて言っていたか?
 それとも美樹に連れ出されたか。美樹は茉由里が好きだからなあ、と肩をすくめた。
 リビングの照明をつけると、テーブルに封筒が一通置いてあった。嫌な予感に眉を寄せ、掴み取って中身を確認する。茉由里の字だった。

『……他に好きな人ができた、か』

 俺はふっと片頬を上げた。どうして茉由里はこんな嘘を俺が信じるなんて思ったのだろう。少し俺のことをみくびりすぎだ。
 各所に連絡を取り、日付が変わる前に原因は突き止めた。車を走らせ久しぶりに帰る実家は、まだ煌々と明かりが灯っている。

『あら、宏輝おぼっちゃま。おかえりなさいませ』

 幼少期から親しくしている家政婦の川尻がにこやかに玄関で微笑む。明治時代に造られたという無駄に広い屋敷は、何度かのリフォームを経てはいるものの、どこか厳めしく時代的なところは変わらない。

『どうされたんです、こんなに遅くに。あまりお仕事一辺倒だと、茉由里ちゃんに愛想を尽かされてしまいますよ』
『川尻、早織さんは』
『奥様なら応接室に……北園会のご令嬢がいらしていて』

 こんな時間に何かしら、と川尻は小首を傾げている。俺はそっと笑った。
 そうか、元凶が揃ってくれているか。手間が省けてちょうどいい。
 俺は頷き磨かれた廊下を歩きだす。母屋の西側、応接室のドアをノックもせずに開いた。応接セットで向かい合いコーヒーを飲んでいた早織さんと俺と同じ年頃の女がこちらに目を向ける。すっと目を眇めた。北園華月のことは、名前と顔だけは知っていた。若くして北園会総帥候補に名を連ねる天才。
 北園は驚いた顔をしたあと、早織さんは目を逸らし、北園は頬を緩めた。嫌な笑い方だった。

『どうしたんです宏輝さん、こんな時間に?』
『早織さん。茉由里はどこです』
『知らないわ』

 考えるそぶりを見せることもなく、彼女は言う。おそらく俺に詰められることくらいは想定内だったのだろう。

『下手な芝居は結構。単刀直入にお話しましょう』

 俺の言葉に早織さんは微かに眉を上げ、それから諦めたようにソファから立ち上がった。

『全て承知なら話が早いわ。こちら、北園華月さん。◯◯大で研修医をしてらっしゃる』
『で、あなたが俺と結婚させようとしている相手?』
『……その通りよ。華月さん』

 北園が立ち上がり、優雅な仕草で俺に頭を下げる。

『こんばんは、宏輝さん。お会いできて嬉しいわ』
『お願い、宏輝さん。これで全てがうまくいくの。茉由里さんのことは諦めて。彼女は納得してくれたわ。人命には変えられないもの』

 俺はため息を吐き『話にならない』と呟いた。

『あなたたちの勝手な論理で婚約者が失踪したこちらの身にもなってみろ』

 つい苛立ちとともに口をついた言葉に、北園がきょとんとして微笑んだ。

『宏輝さん。ここにいますよ』
『は?』
『婚約者はあたし。どこにも失踪したりなんかしていません』

 俺は眉を寄せる。北園華月はふふふっと笑った。カンに触る笑い方だった。

『俺は未来永劫、あなたをそんな扱いにする気はありません』

 俺はばしりと言い捨てる。
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