凄腕外科医は初恋妻を溺愛で取り戻す~もう二度と君を離さない~【極上スパダリの執着溺愛シリーズ】

『早織さん、いいですか。親父のことが気にかかるのはわかる。けど他にもいくつも選択肢はあるんだ。少し俺に任せてじっとしておいてくれ』
『宏輝さん! あたしは』
『黙れ』

 生さぬ仲であるとはいえ、母親である早織さんに対しこんな口をきいたことはなかった。茉由里に敵対的ではなかったからだ。むしろ素直な茉由里を気に入っている素振りさえ見せていたから。

『あんたは医学面においては俺の何歩も先をも行く先輩だ。ただ経営に関しては素人でしかない。北園会との提携は罠だ。あちらがウチを手に入れるための甘言にすぎない。手を出すな口を出すな、最高の条件であんたの望む結果を手に入れてやるから、二度と茉由里の前に顔を出さないでくれ』

 俺が言い切ると、早織さんはやや顔色を悪くしながら唇を噛み俯いた。暴走していた自覚はあったらしい。

『というわけで、北園さん。あなたとの婚約は白紙です。お帰りはあちら』

 俺が応接室の扉を指し示すと、北園は優雅な態度を崩すことなく唇を上げた。

『……いいのですか?』
『何がです? 俺はいまから婚約者を連れ戻しに行かないといけないので、手早くお願いできますか』

 茉由里が京都に向かったのはすでに報告が上がっていた。顧問の弁護士事務所が提携している興信所からの報告だった。
 新幹線は終わっている時間だけれど、今から車を飛ばせば朝には着くだろう。
 少し京都観光をしてから戻るのもいいかもしれない。幸い、明日は休みをとっていた。

『ずっと茉由里さんを守れるのか、って話なんですけど』
『守るに決まってる。何が言いたい』
『人間って、生きていたら病院にかかることってありますよね、当たり前に。でもスタッフだって人間だわ。事故が起きることもある』

 北園はあくまで優雅に振る舞いながら続けた。

『結婚したら、お子さんが欲しいのかしら? 母子ともに健康で退院できるといいですよね』

 背中が粟立つ。

『ウチの息がかかっているスタッフを、たとえば茉由里さんが出産するクリニックに紛れ込ませることくらい、簡単なんですよ。かーんたん。たとえ上宮病院の系列であろうともね』
『北園……っ』
『ところで、交通事故率はご存知? 死ぬまでにふたりにひとりは事故に遭うんですって。年間だと五百人にひとり、結構高いわよねえ。あらやだ、何を怒ってるの? 別に何かするって言ったわけじゃないじゃない?』

 怒りで目の前が赤くなる、なんてことは生まれて初めてだった。

『一体、何が目的だ、北園』
『優秀な子どもよ、宏輝さん』

 北園はさらりと髪をかきあげて言った。

『あたしは北園病院の……いえ、北園会グループの跡取り候補。優秀な医者となる子供を産まなくてはならないの。つまり優秀な伴侶が必要……容姿も頭脳もね。あなたはその条件に、ものすごくピッタリだわ』

 そう言って彼女は机の上に写真をばら撒いた。茉由里の写真だった──明らかに、盗撮の。

『約束するわ。茉由里さんと離れている限り、手は出さないって……ね、あたしと結婚してくださる? 宏輝さん』

◇◇◇

『最悪。けど、脅迫で訴えたところで有耶無耶になって揉み消されるのが関の山ってところね』

 イライラを隠しもせず、双子の姉の美樹が言う。茉由里がいないマンションのダイニングでのことだった。苛立ち紛れに美樹は勝手に冷蔵庫を開き、ビールを取り出してそのまま座り込む。

『美樹。どうした』
『……っ、茉由里がどんな想いでここ出て行ったかって、そう思って』

 冷蔵庫を覗いて唇を噛む。揃えられた食材は、俺の好きなものばかり。帰国したばかりの俺に振る舞うつもりで買い揃えていたのだろう。
 黙って冷蔵庫を閉める。その音が空虚に響いた。

『いま、茉由里、どこに?』
『京都市内のホテルに泊まっていると報告が来ている。家が決まり次第、彼女の叔父のカフェで働く予定だと』
『ねえ、どうにかできないの? 茉由里のこと、迎えに行きなさいよ……さっさと。それともあんな脅迫、まに受けてるの?」

 俺は手のひらを握りしめる。

『……正直、怖い。茉由里を事故に見せかけて殺すことを、あいつは躊躇しないはずだ』
『いくらなんでも実行はしないわ。リスクが大きすぎる』

 俺は少し悩んだあとに、美樹に北園会病院のとある噂を伝えた。医療関係者の間でひっそりと囁かれている、まことしやかな噂話だった。

『……まさか。嘘でしょう? そんな』
『俺は真実だと思ってる』
『そんな』

 そう言ったきり、美樹は絶句した。噂が真実ならば、北園華月は他人の命を患者も含めてさほど重要視していない。

『真実だとしたら、茉由里のことを抜きにしても、俺は北園華月を……北園会病院を許せない』

 美樹はじっと眉を寄せ考え込んでいる。確かにショッキングな事実だろう。
 けれど、俺だって「それ」をやろうと思えば可能だ。実際に露見している事例だっていくつもある。だからこそ医療関係者には高い倫理観が求められるのだ。微かにため息をついた。

『……早織さんがあの蛇のような女に目をつけられたのがまずかったな』
『あの人、生粋の医者だから。医学のことしか興味ないもの。副院長なんて任せるべきじゃなかったのよ、政治力なんてなにもないもの』

 政治力のなさ、か。

『……それは俺も同じだ』

 小さく呟き、決意する。
 茉由里を取り戻すのに必要なのは、政治力だ。北園会病院すらも手に入れ、北園華月から牙を抜く。いや首を獲る。それくらいしなければ。

『あの女、いつからあんたを種馬として目をつけていたわけ?』
『さあな』

 吐き捨てるように答えた。種馬か。その通りだと思った。

『北園華月が言い出したのか、彼女の父親あたりの発案なのか……』
『そもそも最初からウチ、というか上宮病院を手に入れるのが目的だったんでしょ?』
『そのはずだ』

 上宮病院の売上は、都内では赤十字、国立病院に次ぐ。一兆円近い売上、数十億の収益を狙う輩がいたとしてとおかしくない。

『なんにせよ虎視眈々とチャンスを窺っていて、遅かれ早かれ動く予定だったんだろう』
『いまさらだけど……どうして気がつかなかったの宏輝。院内に北園会の息がかかってる役員が増えていたこと、父さんが病気になっていたこと、そのせいで経営を早織さんに任せ気味になっていたこと』
『……慢心していたんだ』
『慢心? あなたらしくない』
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