凄腕外科医は初恋妻を溺愛で取り戻す~もう二度と君を離さない~【極上スパダリの執着溺愛シリーズ】
現場に復帰した父親の影響力が復活するのと、それを利用し俺自身の足がかりにさせてもらうのと、北園病院の不正会計や政界との黒い繋がりの証拠を掴むのはほぼ同時だった。まだ本筋の「噂」の尻尾は掴めていないものの。
脅迫ギリギリの交渉の末、かなり有利な条件での提携を結ぶことができたのは、茉由里が祐希を出産して一年が経ったころだった。楽々とウチを手に入れるつもりが同等の提携、それどころか承認まで持っていった研究結果まで手にいられた北園側としては、歯噛みしたい気分だっただろうが。
ただ、まだ手が出せていない領域がある。おそらくそれが北園会のウィークポイントであり、北園華月を失墜させる唯一の鍵だ。
しかし、まずやるべきことは最愛を迎えに行くことだ。
もうずいぶん長いこと、うまく眠れていなかった。茉由里が出て行ってから、ずっと……。
北園華月に直接会い、条件を突きつける。
『つまり、君との婚約は破棄だ。最初からそんなものしたつもりはなかったが』
次に茉由里と祐希に接触したときは北園会の不正を公表する、という合意もとれた。
これでようやく、茉由里を迎えに行ける。
長かった、と呟いた。
北園は『諦めないわ』と冷たく笑う。
『どうしてもあなたの遺伝子が欲しい。あなたでないといけないの』
『やらん。あなた相手では勃たない』
すぐさまの返答に北園は愉しげに肩を揺らした。その目は変わらぬ蛇のような暗い光を帯びていて、執念深さを感じた。
やはり、確実に首を取らなくては。
◇◇◇
そんな話を茉由里にしたところで、茉由里としてはいい迷惑だろう。言い訳と取られてしまうかもしれない。北園華月に狙われていたなんて話も避けた。いまさら怖がらせる必要もないだろう。
とはいえ説明しないわけにもいかず、かいつまんで話をする。
「……つまり、提携をめぐるゴタゴタに巻き込まれた形だ。本当にすまなかった」
茉由里はコーヒーの香り漂う店内で、いつのまにか眠ってしまった宏輝を抱いて俺の話を効いている。そうしてしばらく黙考してから顔を上げ、きっぱりとした顔で言う。
「やっぱり、私、東京には戻りません」
「茉由里?」
「この子には……祐希には、そんなもの背負って欲しくないんです。自分の人生を生きて欲しい」
「祐希に医者になるのを強要するつもりはない。好きに生きてくれて構わない」
「あなたになくとも、上宮の家がそれを許さないでしょう?」
茉由里は祐希の髪をさらさらと撫でる。
「その証拠に、あなたは上宮の家を捨てられなかった」
「それは君を守るためで」
「私、あなたとなら外国でもどこでも行けた」
頭を殴られたような気分になる。その通りだ。茉由里と祐希を連れて海外に出れば、苦労はかけるだろうがさすがに北園も諦めただろう。
最初から俺にその選択肢はなかった。それは全て守る自信があったから──けれど、茉由里にしてみればそんなこと関係ない。
彼女の顔は、すっかり母親のものになっていた。俺がひとり躍起になっている間に、茉由里は親になっていた。
ぞわりと嫌な予感で首筋が寒い。
俺は欲張って全てを守ろうとして、結果的にいちばん大切なものを失う選択をしたんじゃないのか?
指先が震えた。
頭のどこかで、甘く考えていたんじゃないのか? 俺が迎えにきたら、茉由里は何の衒いも不安も迷いもなく俺の胸に飛び込んできてくれると?
そんな保証はどこにもなかったのに!
「あなたは何も捨てられないの。私は祐希のためなら他の全てを捨てられる」
「俺は……!」
言葉が続かない。俺は、俺は……ただ君たちを守りたかった。それだけなんだ……!
たったそれだけのことなのに。
本来ならば、失うことのなかった未来だ。
悔しくて唇を噛む。茉由里が痛々しそうなものを見る目をしてそっとその細い指を伸ばし、俺の唇を撫でた。
温かい。
「噛まないで」
俺はその指先にキスをする。茉由里が手を引いたタイミングで、扉が軋む。
「そのくらいにしてあげなさい」
遺伝学上は父親と同一である茉由里の叔父が、扉を開き入ってきた。
「叔父さん」
「すまないね、聞き耳をたてるつもりはなかったのだけれど」
そう言って茉由里の肩を叩く。
「彼が茉由里さんを守ってきたのは本当のことだよ。実は僕も、何度も連絡をもらっていた」
「……嘘」
「本当だ。いつも心配していたよ、君たちのことを」
茉由里は目線を泳がせ、微かに俯いた。腕の中で眠る祐希が「んー」と身じろぐ。
「上宮さん。茉由里さんもすぐには納得できないと思う。茉由里さんにとっていまいちばん大切なのは……祐希が健やかに育つ、ただそれだけなんだから」
「……はい」
「けれど、とりあえず」
茉由里の叔父は、にっこりと微笑んだ。
「まずは家族の時間を作ってみてはどうだろうか?」
茉由里の家は哲学の道近く、少し入り組んだ路地の中にあった。古い京都の町屋跡に造られたせいか、長細いつくりのいわゆる「鰻の寝床」のような家だ。
「どうぞ」
上がってみれば、古き良き日本住宅といった風情だった。どこか雰囲気が、俺と茉由里が育った離れに似ている。小さな庭があり、大きな桜の木が植えられていた。
「この家より古いんだって」
茉由里が俺の横に立ち、呟くように言った。
「ごめんね、話より先に祐希お風呂に入れなきゃ。明日も保育園だから……さっきちょっと寝ちゃったから、寝るのは遅くなるかもだけど」
「わかった。何か手伝うことは」
「……じゃあタオルで拭いてあげて」
洗面所のバスタオルの位置を教えられ、俺は頷く。風呂釜自体は新しいものらしかったが、ちらりと見えた洗い場はレトロなタイル張りのものだ。冬場なんかは冷えるんじゃないだろうか。
茉由里たちが風呂の間落ち着かず、廊下をうろうろと歩く。しんと花冷えする夜だ。
それにしても、どう説得するべきか。一秒でも早く会いたくて、新居を整え次第来てしまったけれど……
「宏輝さん、お願いします」
風呂からの声に慌てて洗面所へ向かう。バスタオルを巻いた茉由里が、祐希の頭を拭いていた。
白い肌にどキリとする。